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純金融資産1,000万円超は強力なカード。


コツを掴み、継続することが資産形成の肝。

 ここ半年間、日本株の上昇相場や、円安に伴う外貨建て資産の為替差益増加に伴い、結構な勢いで資産が膨らんでいる。それ自体は結構だが、銀行預金でペイオフの対象外となるような規模の資産を運用するとは、日々の価格変動幅が、20代パンピーの給与所得では補填が効かなくなることを意味する。

 高卒で社会に出て、1年間で100万円を貯める大変さを痛感していた青二才が、今では複利の恩恵で何もせずとも、期待値ベースで毎年同じくらいの金額を金融資産が生み出す辺りに、資本主義社会の残酷さと、周りに何を言われようと、淡々とハックする強かさを持つことの大切さを実感する。

そんな私だが、収入という指標で測ると、サラリーマンとして優秀どころか、一歩間違えたら詰みになるような低賃金、失業のリスクを背負って社会を支える、エッセンシャルワーカーの住人である。

 高卒が就ける職業など、ブルーカラーの現場仕事しかなく、鉄道員としてシフト勤務をこなすだけでは、残業なし手取り13万円と、経済的には厳しい世界だ。

 最初は遊ぶお金欲しさに、手っ取り早く残業して稼いでみたが、体力面で持続可能ではなく、時間的余裕も失われるため作戦変更。不労所得が得られないかと考えるようになったのが、資産運用のキッカケだった。

 種銭を捻出するために、お金が貯まる習慣をつけるべく支出を徹底して削減した。運用はギャンブルにならないよう、ポンジスキームや詐欺的な、ラクに儲かると謳う投資案件には警戒し、被害を防ぐための知識を実践で身に付けながら、自分が正しいと思う運用を試行錯誤した。

 銀行預金ベースで年間100万円貯蓄できれば、10年後の28歳で1,000万円。適切に運用すれば多少は短縮することを期待したが、想定以上の運用益と、転職による収入増で思ったよりも早期に大台に達した。

 しかし、転職後に激務で結局長持ちせず、身体を壊して資産がなければ詰んでいたのだから、リーマンとしては平凡以下だろう。

 大台に乗る直前に、境遇が似ている友人に保有資産をカミングアウトした時は驚かれたが、それくらい低スペックな私でも、資産を形成できるのだから、倹約と運用のコツを掴み継続さえすれば、決して難しくないことのように思える。

大台に乗って変わらないこと、変わること。

 ゼロから資産形成を目指す人々にとって、8桁目の1,000万円は心理的に意識する大台だろう。

 参考までに年収300〜500万円の20代単身者で、資産から負債を差し引いた純金融資産で1,000万円超を持つ者は、金融広報中央委員会の統計上(2022年)、上位2.3%に位置する、40人学級で1人居るかどうかのレアキャラだ。

 そんなレアキャラになったら、さぞ贅沢な暮らしぶりかと思いきや、同世代よりもシビアな金銭感覚で、生活レベルは変わらず質素。

金銭感覚は質素なまま変わらない。

 値札を見ずに買えるだけの資産があるはずなのに、未だに百貨店はおろか、成○石井や紀◯国屋の値札を見てビビる。ディスカウントストアで値下げシールや、セールコーナーを隈無くチェックする方がきまりが良い質素倹約な感覚は驚くほど変わらない。

 資産を形成する過程で磨き上げられたコスト意識から、株主優待、クーポン、キャッシュレス決済のポイント還元など、日常生活で実践できる節約テクニックを駆使して、いかに賢くお金を使うかに心血を注ぐクセが染み付いているのだろう。

 そもそも重要度の高くない出費は徹底して見直し、家賃や光熱費、通信費などの固定費は、現状で過不足のないベストなプランに切り替えるなど、小さい倹約の積み重ねによって、種銭が生まれている以上、収入よりも遥かに低い支出で暮らせる人間が、多少の資産を持ったところで散財に走る訳がない。

複利は実感するも、価格変動には無関心。

 駆け出しの頃に数千円の含み損でドギマギしていたのが嘘みたいだが、良い意味で感覚が麻痺してくる。支出に関して1円単位でシビアな人間と、同一人物には思えない程度に。

 1,000万円を年率4%で運用すると、年間40万円もの金融資産所得が得られる計算で、20代なら月給やボーナスより高額だろう。

 この辺りから複利のパワーを実感する反面、運用する過程で元本が増えると、価格変動の額も大きくなるため、いちいち反応していたら身が持たず、次第に価格変動リスクなんてそんなものだ、仕方がないと慣れる。

 何より株価は上下に動きながらも、長期では右肩上がりで成長することが腹落ちしていれば、将来、お金が必要になって売却する時にプラスであればそれで良いのだから、どこかのタイミングで日々の価格変動に一喜一憂する不毛さに気付く。

長期目線で物事を判断するようになる。

 日々の価格変動に一喜一憂するのは、目先の損得勘定が強い何よりの証拠であり、投資は損得勘定で動くと損するようにできていることは、プロスペクト理論の通りである。

 資産ゼロから大台に乗るまで、投資を継続できる人が身につける最大の武器は、長期的な目線で物事を判断し、自ずと期待値の高い行為を選択するように、行動基準が変わることかも知れない。

 大学での学び直しが典型例で、高卒で一度社会に出たからこそ、自分に足りないものを強く認識し、それを補うために大学で4年の時間と労力、学費を懸けてでも学位を取得する行為が、確約はなくとも今後の人生において、コスト以上の価値は生み出せると考え、先行投資している。

いつでも仕事を辞められる、心の余裕。

 最後になるが、これが変わったことのインパクトとして最も大きい。仮に1,000万円の資産を有していると、年収300〜500万円の人であれば、税金と社会保険料を差し引いた可処分所得ベースで、2.5年〜4年程度無収入でも蓄えだけで生きていける。

 あくまでも収入ベースの年数であって、若い時期に1,000万円規模で蓄えられる人であれば、収入より遥かに低い支出で暮らせるだろうから、支出ベースなら5〜8年くらいの猶予はあることだろう。

 運用して金融所得が得られていれば、資産は更に長持ちする可能性がある訳で、無理してブラック企業にしがみ付く必要がなくなる。

 私は20代半ばに予想だにしない発作で倒れ入院、手術。死亡確率4〜7割の大病を患ったが、その原因が職務上の不摂生にあった。

 環境を変えずに同じ過ちを繰り返した場合、生存確率は単純計算で9〜36%と分が悪いため、入院中に退職を決意し、社会人学生から学生に逆戻りした。

 その決断ができたのは、紛れもなく金融資産の後ろ盾があったからで、生計を立てるためとはいえ、文字通り寿命を縮めてまで現職にしがみついていたら、生きるために仕事をするのか、仕事のために生きるのか分からなくなりながら、早死する人生となっただろう。

 それを回避できるだけの心理的余裕の源泉となる、資産を形成した過去の自分に感謝しつつ、今この瞬間を大切に生きている。


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