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若者に冷酷な社会だからこそ、将来世代に篤実でありたい。

生きるのが不器用な鉄道員の性。

 平日休みの朝、いつものように死んだ魚の目をして、ゾンビの如く駅に向かう社畜を眺めながら、「ざまぁみろ、俺は休みだ」と優越感に浸る悪趣味な散歩を謳歌しているが、その日はいつもと少し違った。

 仕方がない、地下鉄の駅まで歩こう。JRユーザーで、普段はiPhoneのモバイルSuicaでオートチャージのため、駅に用事など皆無だが、この時は以前に、酔った勢いで財布内のVIEWカードに付帯しているSuicaも反応してしまい、意図せず1,000円オートチャージされ、SF残高が遊んでいる状態だったため、今度バスに乗る際にちょうど使い切れるよう、10円単位でチャージしようと思ったためである。

 豆知識だが、JRの券売機では最低チャージ金額が500円からだが、民鉄の券売機や窓口では10円単位でチャージ可能である。以下、面倒くさい鉄道員のうんちく垂れ流し劇場がしばらく続くため、伏線回収を済ませたい方は、最後の標題まで飛ばしていただきたい。

 自社でも同じことができるが、乗務職場に窓口などないし、自社の駅では公金と私金の区別に煩く、万が一、金勘定が合わなかった時に容疑者扱いされるのは真っ平御免で業務中に気軽にチャージ出来ない。

 かと言って勤務終了後に仕事で嫌でも扱う機械を、客として触るのも、けったくそ悪い。自社の沿線に住まないのも、休日に職場を意識したくない心理の現れと言えるだろう。

 コロナ禍で在宅勤務に切り替わった多くの方が、公私の切り替えに悩まされ、通勤時間の重要性に気付かされたが、鉄道員は公私問わず、公共交通機関を利用すると否応にも公のスイッチが入ってしまい気持ちが休まらない。

 たとえ自社線でなくても、踏切待ちで取り残されている人が居ると、咄嗟に非常ボタンに手を伸ばし、乗客としてイレギュラーな事態に遭遇すれば、手伝えることがないか名乗り出てしまう性で、不器用な生き方だとつくづく思う。

複雑怪奇なクレジット一体型ICカード。

 そんなクレジット一体型カード、払戻しすれば良いと思うかも知れないが、業界人としては触らぬ神に祟りなしの如く、面倒ごとに巻き込まれる可能性が高いことを嫌と言うほど知っているため、極力触れずにやり過ごしたいのが本音である。

 民鉄駅係員の経験上、一体型カードは払戻しの取り扱いが煩雑で、IC部分のみ払戻しをしたくても、クレジット機能が同時解約になってしまうカードと、そうではないカードに分かれている。

 しかも某民鉄で発行するカードは、カードブランドによって同時解約になるケースと、分離可能なケースと取扱いが異なり、業務運用マニュアルを参照しながら旅客に案内しないと、生きた心地がしなかった記憶がある。

 VIEWカードはどうやら同時解約にはならないらしく、駅構内のVIEW ALTTEで払い戻しでもしようかと思ったが、Suica機能を復活させるには再発行手続きが必要な観点から、本音としてはICのSF残高は0円のまま、一度も使わずにやり過ごしたかったし、4年ほど貫いていたが、酒に飲まれた時にしくじった。

 SF残高で切符が買えるが、ご存知の通り、首都圏は二重運賃で基本的には1円単位のICカードが安いためもったいない。それに現金化防止の観点から、ICで買ったことが分かるマークが出るため、規則上は払戻しに制限がある。

 抜け道がないことはないため、上手に理屈をこしらえれば、特例措置で返金に応じてくれるだろうが、元駅員として私的な理由で他所さまで内情を悪用するのは気が引ける。

脱シルバー民主主義のために、出来ることを徒然と。

 そんな面倒くさいことを考えながら朝方、わざわざ地下鉄の駅の券売機に向かったところ、稼働している2台とも先客に使われていたが、並んでいる人は居なかった為、私が最前で待っていた。

 30秒もしないうちに、学生が物凄い勢いで券売機に向かって来たが、私が並んでいることを察して、落胆した様子で後ろに並んだ。定期券を忘れて切符を買おうとしたものの、悠長に並んだら列車に間に合わないからだろう。

 小さな画面の世界に夢中な割に、時間に追われている社畜リーマンだとこの些細な状況に気付かないか無視するだろうが、時間に追われていないHSP気質な私は、「おそろしく速い疾走 オレでなきゃ見逃しちゃうね」の精神で、他に待っている人も居なかったため先を譲った。

 学生は慣れない券売機をぎこちなく操作しながら初乗りの切符を買い、去り際に私に会釈して猛ダッシュで改札に向かった。その後、私は慣れた手つきで10円単位チャージを済ませ、出口への階段を上がる頃に、列車が加速する音が聞こえた。

 間に合ったのかは知る由もないが、先を譲ったことで見知らぬ誰かが助かったのであれば、暇人冥利に尽きる。これが目上の人間だと、時間管理能力のなさに呆れて、譲ることなくちんたら操作する畜生っぷりを遺憾なく発揮するだろうが、相手は私よりも若く、これからの日本社会を担う世代である。

 日本社会は若者に冷酷な構造となっている。学歴至上主義で職業選択の幅を広げるためには大卒が必須となり、貸与型奨学金利用者は平均288万円の借金を背負い社会にでる。

 そうしてせっかく賃金を得ても、逆三角形な人口ピラミッド故に、街中に溢れかえる高齢者を支えるために、あの手この手で国や自治体から搾取され、給与の半分は国のため、残り半分の大半は大家や奨学金のために働いているに等しい。

 自らの生活を犠牲にしながら支えたところで、支えられる側になる頃には、支える若者は更に少なく、現在と同等の受益が得られず報われないのは、世代会計で4,000万円近くマイナスとなる試算から見て明らかである。

 もし重荷に耐えきれなくて潰れても自己責任論が蔓延っており、生活保護で水際作戦が展開される始末。シルバー民主主義故に、年金で生活に困らない高齢者の就業支援に税金が使われることはあっても、望まない形で社会のレールから外れてしまった若者に対し、行政が支援することはなく、NPOが細々と支援している程度。

 こんなのおかしい。どう考えても逆だろうと思うと同時に、自分より更に過酷になるであろう若い世代に対して、申し訳ない気持ちになる。我々が選挙に行ったところで、数の暴力で何も変えられない以上、せめてもの償いでハックする術を将来世代に提示できるよう試行錯誤している。

 早死にしなければ、いつか自分自身が将来世代に支えてもらう側になる日のことを考えると、前時代的な価値観で目上だからと偉そうに、傍若無人な振る舞いをするのは筋違いだろう。

 世の中の潮流とは逆行しているのかも知れないが、晩年に老害扱いされないためにも、せめて自分ひとりくらいは表面上、目上を敬っている感を出す前に、将来世代にこそ篤実であるべきだと考えている。ひとりで出来ることは小さいものの、束になると世代交代の圧力が掛けられ、私諸共駆逐される未来を信じて、淡々と継続するまでである。


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