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文章をかく

文章をかく

文章を書く、ということはいつごろから始まったのだろう?なぜ文章を書くのだろう。

僕は、文章を書くということは思考を転写することだけでなく、思考を筆算することができるというのが真の価値であると思う。脳のメモリには限界があるし、書かずに考えている間はそのメモリを解放することができない。

文章を書く力がなければ、人間は指で足し算をするレベルでしかないと思う。

思考を発信する

文章を書くことのもう一つの意味として、転写した思考を発信することができるということがあると考えている。これによって、他の人に意見をきいたり、自分のやってほしいことを伝えたりすることができる。自分を客観視する手段が発生し、人に価値を提供することができるようになる。

承認欲求の為に使うこともできる。
最近、承認欲求はネガティブなニュアンスで使われることも多いが、客観視を求める素晴らしい本能が人間に備わっている、ともいえる。

ふと歴史を紐解く

冒頭に戻り、今の形で文章を書くようになったのはいつ頃からなのだろう。
少しネットで調べてみたところ、明治頃から言文一致運動というもので今の形になるまでは文語体と口語体というものに別れており、大きな隔たりがあったという事だった。
文語体では、「我思フ」のように、助詞の使い方が今と異なっていたようだ。道理で、日本語の助詞は使い方が不安定なわけだなあ。

ということは

上記のことから明治以前の日本人は、文語で筆算思考するか、あるいは口語で暗算思考するかの二択であったと考えられる。そう考えると日本人の思考様式は明治あたりでずいぶん変化している可能性があるんじゃないかなあ、などと妄想するきょうこの頃。

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