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私たちにはことばが必要だ イ・ミンギョン

Twitterお友達の@NYasukoさんに紹介された『私たちにはことばが必要だ』。途中で休憩を挟んでしまったので、読み終わるのにだいぶ時間がかかってしまった。韓国のフェミ本はチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』しか読んだことがない。こちらは評判を呼んだものの、小説という体を取ったむしろジェンダー不平等を学ぶための事例集みたいな印象を受け、小説としてはあまり楽しめなかった。『私たちにはことばが必要だ』はどんなもんだろうなと思って読んでみました。

基礎編-セクシスト(性差別者)に出会ったら
0 あなたには答える義務がない
1心をしっかり持とう-差別は存在している
2「私のスタンス」からはっきりさせよう
3「相手のスタンス」を理解しよう
4断固たる態度は必要だ
5あなたのために用意した答え

実践編=セクシストにダメ出しする
7あなたには答える義務がない、再び
8それでも会話をつづけるのなら
9いよいよ対話をはじめるなら
10話してこそ、ことばはふえる
11ここまでイヤイヤ読んできた人のためのFAQ

想像していたのと違って、この本は男性に女性差別を語る際のノウハウ本だった。そう、私たちは自分たちの怒りの伝え方を知らなかったし、悪意のある質問や相手には答える必要がないということさえ知らなかったのだ。

質問されたら、相手が理解してくれるよう根気よく説明し、説明の途中でどんなに傷つけられても、問題をすり替えられても、怒らないで笑って流して、または優しく説明して「男性も大変だよね」と思いやりを見せ、少しでも社会が良くなるための対話を生み出そうとしていた。それでも理解が足りねえなってときは、その人の娘やパートナー、母親の例を出して当事者意識を持たせようとしたり、黒人と白人間の人種差別の問題と比べて男対女の構図から一歩下がって差別問題としての理解を促そうとした。

でも大概、そういうのってうまく行かない(笑)説明を求めてくる男子はいくら説明しても分からんことが多いし、男女平等が大事と根幹で思っていても、「でも男だってハゲやデブ、オタクと女に言われて傷ついているやつもいる」とか「フェミニストで攻撃的なやつがいるが、ああいう対話の仕方では敵を増やすだけだ」「フェミニスト相手に対話を試みても無視されるか本を読めと促されて話にならない」「そういう女の被害者性を利用している女もいる」「フェミニストは感情を優先してファクトを見ない」とか言われる。理解していないヤツが説明を求めてきているのに、気付いたら私が世の中のフェミニストに代わって抗弁するようような立場に追い込まれていることもしばしばある。

そうやって「教えてください」「対話しましょう」みたいな善人ぶる男子が豹変して、こちらを攻撃してくる様をよく見てきた(ただし、本人は攻撃しているつもりはない)。そこには前提としてすでに女性嫌悪があるように思える。コミュニケーションのあり方として、すでに私が一歩引くことを前提としている、あるいは「そうですね-そういうフェミニストはアカンですね」みたいな譲歩を求めているように感じる。

そして私はめんどくさいので(そして相手とケンカがしたくない)、モヤモヤしながらも相手の手中にはまり、最終的には「はいはい、そうですね」となる。先方は私が折れて大満足。関係にヒビは入らんし、なんとなく対話できた気持ちになる。でも、向こうがこの会話をきっかけにジェンダー本を読んで勉強することなんてないだろうし、差別への理解は深まってないだろうなと思いつつ諦める。

「なにかというと『女性嫌悪』だ」と不満に感じる男性は多いでしょう。そうなんです。なにもかも女性嫌悪です。女性とはいわば、枠の中に閉じ込められて剥製のようにされた存在です。その女性が枠から飛び出そうとしているのを目にしたときに生まれる拒否感が、女性嫌悪です。

私は何を隠そう、数年前までは自分でフェミニストとは思わず、「女だからって差別されているとか言うヤツは甘えている」「主婦は勤労の義務を果たしていない」くらいに思っていた女性嫌悪で満たされていた名誉男性だった。必死に努力して学歴・職歴があればあれば対等に扱ってもらえると思っていた。(私の女性嫌悪はステレオタイプ・スレットの典型だと思うけど、こういう思想になっていること自体ジェンダー平等じゃないことの現れだと今は思う。)

努力すれば乗り越えられる論が通じないな~と思ったのは、海外で働くようになり、アジア人、女性、非英語話者(あるいは非アラビア語話者)といういくつものマイノリティ・カテゴリーに自分が属しているとイヤでも感じたとき。日常における差別のインターセクショナリティ(複合的な差別)をもろに感じたとき、女性カテゴリーにおける差別にも敏感になり、「そういやこんなことあったけど…」みたいに過去から思い返し始めた。

「目覚めたフェミニスト(笑)」として、なんとなく聞かれたら説明するみたいな責任感があったけど、被差別者が差別されていない人に差別を語るのってすごい消耗するのよね。先方には経験も直観もないからね。かつ自分が攻撃されているようにも思うのでしょう。

英語で読むこと、聞くこととは違って、書くことはむずかしいように、インプットの段階を越えて、自分のことばでアウトプットできるようになるには、練習が必要なのです。

練習が必要というのはすごい分かるが、私はやっぱり差別される側が語るのではなく、説明を求める側(=差別されていない側)がもっと学ぶべきだと思っている。なので、この本はフェミニストではなく「はあ?女性差別ってなんだよ」とか「フェミニストと対話がしにくい」と思っている人に読んでもらいたい。誰も、殴られる前提の対話をしようとは思わないことが理解できる…はず…。

なお挿画・扉絵はロンドンで一回ご飯を一緒に食べたことのある安達茉莉子さん。優しく、ほっこりテイストの素敵なイラストです。

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