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クリエイトしたいのっ!

 「これが私の作品です!!」

 言いたい。

 目の前のテーブルに絵だの像だのをズラリと並べ「私が作りました!!」と誇りたい。あわよくば買ってもらいたい。

 テーブルと言ったが、実体がなくても問題ない。「俺の音を聴け!」「歌を聴け!」でもいい。そのテーブルに相手を川田利明ばりのパワーボムで叩きつけて「これが俺のアートだ!」とイキがるスタイルでも構わない。

 とにかく「これは私が生み出したもの」だという自負が欲しい。道の駅の直売所みたいに「このカボチャは私が生産しました☺️」なんてことを主張したい。やりゃいいんだけどね。

 毎日、手を動かす職人や工員の間に分け入って、手数料やらなんやらをゴニョゴニョするだけの仕事をしていると、なんだか虚しくなる。これも必要なことだし、職に貴賎は無いとは聞くけれど、個人的な感情でとしては「なんだかなぁ」とため息をつきたいことだってある。まぁやりゃあいいんだけど。

 とりあえず文章は書いている。

 どういうわけか三日坊主にならずに取り組めている。アクセスはいまいちだし文章で一円も得てないので、世間一般で言う「結果」はまるで出していないが、それなりに楽しく続けられている。まぁまぁ有意義なんじゃないかな。

 これを始めたての頃は、同時期に生まれたであろうアカウント達と相互フォローしあったものだが、そのほとんどはもう更新されていない。

 ネタがなくなってしまったのか?飽きてしまったのか?他のことで忙しいのか?人それぞれ理由が異なるとは思うのだが、アカウントの死骸ばっかりになってしまった。

 もう反応がない相手をフォローしてもしょうがないので全部外してしまったから、フォロー欄がスカスカになってしまった。また誰かフォローしてみようかな?

 話がそれたね。とどのつまり、これを始める前の私よりは、今の自分は何かしら生産するサイドの人間には近づいたはずだ。ただ、コイツらが“自分で生み出したもの”かと考えるとなんとも微妙。

 まず、どれも作品然としていない。ほとんどの記事が思いつきでバーっと書いてポイッと投稿しっぱなしのチラシの裏のような存在だ。長いツイートみたいな。

 自分ではそこそこ面白いと思って描いているので満足はしているが、「これは私のだ!!」と主張するにはちょっと恥ずかしい。元から知っている人以外に「ねぇ、面白いの作ったたから見てみてよ😉」とは言い難い。

 そしてもう一つ、感想とかレビューとかその類が大きな割合を占めること。これも同じく好きでやってるから別に良いのだが、これらを自分のものとは言いたくない。そう考えると今私の作ってるもので、道の駅に提供できる作物は何一つない。

 さてさてどうしようか、今やってるコレは面白いので今後も継続するつもりだが、もう一つくらい何か「クリエイター」っぽい遊びをしたい。

 長々とした文章なんか誰も読まないので、即効性のあるモノを生み出したい、立体物でも作ればいいのかな?ダイソーになんか安くてよさげな粘土売ってるし。

 それか壺でも作ろうかしら、そして売りさばく!!大儲けだぜ!!

 おしまい

君が望むのならしな、しな。
君が望むのなら。
君が望むのならしな、しな。
心、生きるのなら。
『Honeycom.ware』作詞:中村一義

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