人間
人がいない。誰もいない。
いや、正確にはいる。物理的には存在しているが俺の周りにはいない。
いま、ライブの開場待ちでベンチに座っているがビックリするくらい友達連れやカップルが多い。
いつも開演ギリギリでしか入らないから周りの客を気にすることがなかったが、(あとメジャーなアーティストの公演に来たのが久々だからと言うのもある)が自分の抱いているイメージほど、人はひとりではないようだ。
仕事を始めたての頃は客先で「趣味はなに?」と聞かれた時に「よく音楽のコンサートにいきますねえ😀」なんて無邪気に答えていた。
大抵「へぇー、よく知らないけどフェス?とかそういうやつ?誰といくの?」なんで返されて、ひとりだと答えると「え?なんで?😨」と引かれる。
そこでいつも「マニアックな音楽ですから」とか「なかなか予定が合わないんですよねー?」なんて答えて誤魔化し、変な空気に鳴ることを回避しているが、実際の理由は一緒に行く人が1人もいないからだ。友達がいないからだ。ついでに知り合いもいない。お互いに名前を知ってる人間が生活圏に存在しない。
思い返せばここ10年くらい、休日に誰かと何かをした記憶がほとんどない。仕事の付き合いでどうこうはあるが、望んで待ち合わせて何かをしたのは片手で数えられるはずだ。俺の周りには人がいない。人間の形のシルエットをした背景のみが存在する。
なぜこうなのだろうか?
毎日2,30通の電話応対や仕事の打ち合わせをしているので、完全なコミュ症というわけではない(と思っている)。全く会話ができないわけではないつもりでいる。だけど業務上の必要性が剥がれた途端会話ができる人間はゼロになる。
学生時代も必要性があればコミュニケーションは取れたが、それがなくなると会話ができなくなる。用がない。
相手は私に用事がないし、私も相手に用事がない。連絡する必要性が発生しない。イベントが起きない。必要がないならやらないしやれない。待ち合わせないしどこへも向かわない。LINEの友達欄にも企業のアカウントしかないし、広告と家族間の連絡事項しか流れてこない。
それなのにヘラヘラしていられるのはネット上に(今書いてるみたいに)感情のゴミ捨て場を持っているからだろう。運がいいことに優しい人たちが読んでか(読まずしてか)スキとか”いいね”とかをつけてくれるし、コメントをくれることもある。とても温かく感じている。
なかったらどうなってだのだろうか。別になきゃないで死にはしないだろうが、とてつもなく危ない人間になってた気がする。今ネットに書いていることを部屋や路上でぶつぶつ言ってるヤバいやつ。デンジャラスKよりも危険な不審人物。
さてさて、そろそろ16:30を回る。祝祭が開演する。
楽しんじゃうぞー!!おー!!!🤗
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?