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『アンチヒーロー』10話 最終回

  • 伊達原さん三流大学出なのか!とてもそうは思えなかったが

  • 『踊る大捜査線』の室井さんは秋田から東北大学で、東大出ばっかの警察キャリアの中で軽んじられていたね

  • 「ご都合主義の歪んだ正義感ほどこの世を腐らせるものはない」

  • 「鬼ヶ島に乗り込んだ桃太郎は鬼にも子どもがいるということを考えたでしょーかっっ」 野村萬斎楽しそう

  • おしゃべりが過ぎて馬脚を現す迂闊なタイプ、伊達原

  • 「よーーーーーーーーーーーーーーーーーーーくご覧下さい」肺活量

  • ゴミ箱焼けちゃうよ

  • 居たのかそこに緑川!映像で叙述トリックを見せられたよ

  • 緋山をロックオンしたのは緑川だったのか

  • 「殺人犯を無罪にするのとどっちが重いんでしょうね」冤罪の重さはそれくらいだ、と説明する台詞 どちらもひと一人、のみならず、関わった人たちの人生を台無しにする行為という事実は変わらない

  • 「人は弱い だからこそ人が人を裁くことの危うさが司法にはつきまとう」

  • そうして「この国は一度でも道を踏み外した人間に二度とチャンスを与えない」と、初回の明墨と同じことを語る伊達原 二人とも見ているものは同じなのである そこで「人間には二種類ある」真実を直視するか、目を背けるかで道が別れたのが明墨と伊達原だ、という見方もできる

  • 「だって 人は人を裁くことが 快感ですからね」これ炎上、ネットリンチに対するアンチテーゼだろうね じっさい「あたしも気をつけよう…!」という気になっちゃったよ

  • 「見張り続けます」そして「共に地獄へ堕ちましょう」なのか

  • 伊達原家のジオラマは全てを支配したい欲望のメタファーなのかね、鉄道好きとしては忸怩たるものがある使われ方ではある

  • いやでもね、鉄ちゃんのジオラマってその欲望とは対極のものだよきっと。鉄道ってのはどこまでも行ける、大きなシステムが広がっているってことが魅力なんだから、ジオラマはせめてその一部だけでも切り取りたいという謙虚なものなんだ

  • 結局白木さんを採用した理由はなんだったんやろか 立ち回りが巧いってだけ?

  • 真犯人=伊達原説も出ていたけどそうではなかったな、謎のまま

  • 最後アクリル板越しに赤峰くんと対峙する明墨の笑みが良かったな、悪魔の微笑みみたいで。長谷川博己の持つ多面性ならではだった


【総括】

 野村萬斎の語り能力が凄過ぎるということがよくわかったドラマだった。一言ひとことが神の託宣みたいで、言葉一つひとつの重みが素晴らしかった。
 長谷川博己の弁舌と多面性もよかった。台詞を再現する役者の能力はみな高かったが、その反面、脚本という言葉に描かれた以上のことは伝わらないドラマではあった。確かにいい台詞、刺さる台詞も多かったが、それは畢竟、すべて言葉で説明しているという事実を意味する。すべて台詞にする、感動はその言葉の世界の中だけにある。視聴者にとって耳の痛い台詞が出て、視聴者もいろいろなことを考えるが、その「いろいろ」の方向性の指し示しようが脚本以上の広がりを見せない、想像力が広がる余地が限定されている印象を受けた。
 たぶんそれが日曜劇場なんだと思う。日曜の夜にわかりやすい勧善懲悪を見て安心する、というニーズかな。わかりにくいもやもやは好まれない。それって番組のテーマと矛盾するようだけどね。

 あとは伊達原の動機がちょっと弱いな。家庭を守りたい、ということだけが動機だったようだが、それにしてはハードディスクの壊し方とか常軌を逸し過ぎ。自分のあわせ鏡のような明墨をやっつけることに普通以上の快感を見出していた、と説明することはできるが、それも最終回が終わってからの後付け。「家族を守りたい」動機が成立するには、伊達原の楽しい家庭の描写がもっと必要だと思う。確かに一瞬出ては来たけれども、成金みたいな金持ちの、あまり羨ましくもないけれども羨ましいと言ってもいいような暮らし、でしかなかったからなあ。魅力的で、何があっても守りたい、と感じさせるほどのご家庭ではなかったというか。

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