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窮地はターニングポイント

はじめまして!
合同会社REPOCの瀬沼と申します。
現在僕は、REPOCでサーバーサイドエンジニアとして日々業務に励んでいます。

突然ですが、アナタは今までの人生の中で「窮地」に追い込まれたことはありますか?

学生時代や社会人になってからでも仕事面、プライベート、交友関係などで危機的状況と呼ばれるものに直面したことはありますか?

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僕はあります。

今回は自己紹介を絡めながら、僕が経験してきた「窮地」というものを題材にしていこうと思います。
これからエンジニアを目指している方などは、ぜひ最後までご覧いただけたら幸いです。

「窮地」なき人生

東京都清瀬市で生まれ、21歳になるまで実家暮らし、その後今の妻と出会い、結婚を機に親元を離れ、現在では2人の子どもにも恵まれ、家族4人埼玉県で暮らしています。

学生時代の僕は授業さえ真面目に聞いていればテストの点はそこそこ取れるし、高校受験時も一般入試ではなく推薦入試、いわゆる面接のみで都内の進学校に合格したため、「試験勉強」や「テスト勉強」などをした記憶が正直あまりありません。
高校生活は勉強に部活、アルバイトも両立させ特に不自由なく3年間を過ごしました。

高校を卒業してからは、特にやりたいこともなかったため、大学進学はせず携帯ショップの販売員を派遣社員として3年間勤めました。

ここでも成績は店舗内月間1位2位を争うほどには結果を残し、社内資格も多数取得していたりもして、20歳ながらに毎月の手取り金額も30万を超えるほどでした。
また、友人や家族、恋人と遊ぶ時間は十分にありましたし、ブラック企業で残業まみれなどというわけでもなく、不満もありませんでした。
今考えるとかなり恵まれていたという自覚があります。

ではなぜ、このように順風満帆そうな日々を送っていたのに、転職をしエンジニアという道に進んだのでしょうか。

理由は二つあります。

一つは2013年にオックスフォード大学の当時准教授を務めていたマイケル・A・オズボーンという方が発表した「10年後になくなる仕事」の中に携帯販売員が含まれていたこと。

もう一つはお昼の時間帯にたまたま再放送されていた「リッチマン・プアウーマン」というIT企業を題材にしたドラマの社長役に強い憧れを抱いたからです。

自分が今まで自信を持ちながらこなしてきた仕事がある日突然「10年後になくなる仕事」と発表されたらゾッとしませんか?

何となく携帯が好きだから、とりあえずで始めた仕事だったのでそこまでの思い入れはありませんでしたが、まだこのままでいいかなぁなんて、ぼんやりと思っていたところに突然将来への梯子が外され、不安感でいっぱいになりました。
これまで上手くいっていた人生において初めての「窮地」と呼べる出来事でした。

しかし、このままではマズイと思いつつもそれまでぼんやり生きてきたので、新たに始められるものを見つけることが出来ませんでした。
そんな中で出会ったのが二つ目の「ドラマ」でした。

当時小栗旬さん演じる時価総額3000億円のITベンチャーの経営者(CEO)は社内の誰よりも仕事が出来てイケメン、お金持ち。
その小栗旬さんが演じていた方がやっていた事業がいわゆるITインフラとか、データを用いたサービスで、「10年後になくなるかもしれない仕事」をしていた僕からしたら、目指すべき姿そのものでした。

これらの理由から、僕はIT業界に飛び込むという選択をしました。

未経験OKかつ、半年間研修としてプログラミングの勉強をさせてくれる会社を見つけ、転職。
研修終了後は実際の開発現場に出向し、実務経験を得たのちに各々が進みたいキャリアを目指していける職場でした。

ITで活躍する人材になりたいと飛び込んだ自分にとってはありがたい環境でしかなかったにも関わらず、ここで僕は二度目の「窮地」に立たされることになります。

ふたたびの「窮地」

無事に研修期間を終え出向した開発現場でのことでした。
研修期間にもそこそこの手ごたえがあったために、開発現場に対しても「なんとかなるだろう」くらいに考えていたのですが、全く太刀打ちできず。
現場経験がないために、そもそも手始めに何をしていいかわからず、最初の1ヶ月間は一文字もコードを書くことが出来ずにいました。
終いには振られたタスクを上司に内緒で同僚に丸投げするという、即刻クビになってもおかしくない行動を取りました。
もちろん上司にはバレてしまい、「このままでは居させ続けられない」とも言われる始末。

こんな経験は初めてでした。

それまでの人生において、何事もそつなくこなせてきていたので、根拠のない自信に溢れていましたし、どんなことでもやれば出来ると自負していたので、当時はわからないことを他人に質問するなど恥ずかしくて出来ないと考えていました。
その結果、クビ一歩手前まできてしまい自分でもどうしたらいいかわからない状態になっていました。

しかし、限界まできたときに思考をポジティブに変換し、「このままでは居させ続けられない」=「挽回すれば問題ない」と言われたと捉え、挽回に向け1ヶ月間必死に勉強しました。
プログラミングの記事を読み漁ったり、他の人が書いたコードを参考にしたり、それまでのプライドを捨て、わからない箇所は同僚や上司に全て聞くという努力を積み重ねた結果、何とか契約期間を延長させていただくことが出来ました。
最終的にはその現場にはプロジェクトが終わる11ヶ月もの間携わらせていただくことができ、円満に契約終了を迎えることが出来ました。

その後はまた別の開発現場に出向、新しい現場では前回とは打って変わって、特別問題もなく業務を進めることが出来ました。

そんな折、僕が所属する本社より新入社員の教育担当をしてみないかとお声がかかり、元から本社勤務に憧れていた僕は快く承諾。入社2年で研修する側に回ることになりました。

主に本社では前述にもある通り、未経験者のプログミング学習サポートや開発現場へ出向している社員のキャリアサポート、勤怠管理など一言でまとめると「マネジメント」の業務を行っておりました。
僕の研修を受けてくれた子の中には「将来瀬沼さんみたいになりたいです!」なんて言ってくれる子もいたりと、自分がこの業界に飛び込む前に思い描いていた姿に近づけていたのかなと思います。

1ヶ月も経つ頃にはある程度本社業務にも慣れ、この調子で頑張るぞと意気込んでいたある日、再び「アイツ」がやってきたのです。

二度ある「窮地」は三度ある。

そう「アイツ」です。本社勤務2ヶ月目で三度目の「窮地」に立たされることになります。

当時新設されてそれほど日も経っていない「受託事業部」というものがありました。
ご存知の方はいらっしゃるかと思いますが、他社様からの開発業務を請け負う事業です。
この「受託事業部」の案件を一部手伝って欲しいと依頼が来まして、ある程度開発現場を経験した僕は「いつも通りこなせる」と思い承諾しました。
しかし蓋を開けてみると、なんと、僕が今まで一度も触れたことのない「インフラ」と呼ばれる領域の案件でした。

ITにおける「インフラ」を説明するには専門用語をたくさん使わなければいけないので完璧な説明は難しいのですが、簡単にいうとWEBサイトを提供するための入れ物を準備する分野と言えるでしょう。
例えるなら僕たちが普段生活をするために寝床を見つけ、衣食住に困らないよう周りの設備を整えていくという表現が近いかもしれないです。

もちろん先輩から「わからないところがあったら聞いてね」と言ってくださっていたので、出向時代の経験から不明点はどんどん聞きました。
普段見ない検索結果の2ページ目、3ページ目にも手を伸ばし、記事も読み漁りました。
ただ、それでも出来ませんでした。

しかも、先輩やクライアントに大した確認もせず勝手に操作を行い、不要な金額を発生させてしまうという失敗ぶり。
幸いにもこの金額はサービス運営側に問い合わせたところ、取り消し処理をしていただけるとのことで難を逃れましたが、周りのチームメンバーからの期待値は下がる一方でした。

最終的には先輩が代わりに対応してくださり、なんとか納品。僕のタスクは終了しました。

その日の夜、僕の帰りを迎えてくれた妻の顔を見てボロボロに泣いたのを覚えています。
出来なかった悔しさと、期待を裏切ってしまったのではないかと自責の念に駆られたり、自分の味方をしてくれる妻への安堵感など色々な感情がごちゃまぜになって涙が止まりませんでした。

ただこの経験のおかげである程度「インフラ」の知識は身についたので、個人的にはかなり学びのある経験になったことも確かです。

僕にとって「窮地」とは

このように僕は今までの人生で三度の「窮地」に立たされた経験があります。
この記事を通して、ご覧いただいているみなさまにお伝えしたいことは、

窮地」であるときこそ人生における「ターニングポイント」である

ということです。

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僕は一度目の「窮地」を経てプログラマーになることができ、二度目の「窮地」を経て人に頼ることが出来るようになり、三度目の「窮地」によって新たな知識を身につけたことによりフルスタックに対応する力がついたため、現在ではREPOCの一発目のサービスである「アラカルト for プロフェッショナル」の責任者を勤めさせていただけるまでに成長しました。

「窮地」に立たされた時にどれだけ踏ん張れるか、またそこからどれだけ努力が出来るかでその先の人生が変わるのではないかと僕は思っています。
もちろん日頃の努力もとても大事なので忘れないでくださいね。

そして、今僕は人生四度目の「窮地」に立たされています。

やらなければいけないことが多すぎて、毎日タスク内容を整理し冷静に対処していかないと、取り返しのつかないことになるレベルで。

ただ、僕は今まで通り諦めず出来る限りの努力はしてみようと思っています。
きっとこの「窮地」を脱することが出来たら、今よりさらに成長出来るだろうと思っているからです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

アナタにとっての「窮地」が、アナタの人生における「ターニングポイント」でありますように。

次回は、僕がREPOCに入ることになったきっかけ、さらに四度目の「窮地」である「アラカルト for プロフェッショナル」との死闘について書いていきたいと思います。

お楽しみに!


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