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華金

少し前に明け方のタクシーで同僚を前に盛大なリバースをするという悲惨な事件が起きてから、まるで人が変わったように飲酒スタイルがおとなしくなってしまった。あの一件で、私の酒文化の何かが確実に入れ替わったと思う。きっと私の中の古くなったものも一緒に吐き出したんだと思う。

それこそ頭を打って人が変わってしまうみたいに(ちょうどいま吉本ばなな師匠の作品でそういう内容の小説を読んでいる)、あんまり無理をしないようになった。というか、できないようになった。
2軒目に行けば途中から烏龍茶ばっかり飲んでいるし、ベロベロになることが怖くて不快で、達成感も何も覚えなくなった。

今までというとそれはそれはもう、2軒目に行くことが当たり前の話だった。金曜日の終電なんて誰が乗るんじゃい!と本気で思っていたし、朝まで居酒屋を転々としながら、明け方まで地べたでダラダラしながらラーメン食って帰る夜を当たり前のように、そして誇りに思いながら過ごしていた。

酒を限界まで飲んで体をボロボロにすることにある種の高揚を感じるのはまさに、若気の至りだろう。酔いまくって「もーなにやってんのぉ〜!」と言われるような、酒ではなく「バカになることそのものに酔う」亜種な楽しさは、まるでパーティー会場のように儚くて短い。パーティーなど行ったこともないが。

リバースした後の新生・れおにーは、酒のみならず、夜の付き合いそのものを億劫に感じるようになってきた。
華金は、華金だからこそ早く家に帰るのだ。
(少し前はそちら側だった)浮かれた会社員たちを横目にしながら、1分1秒を惜しむかのように足速に帰路につく。息を切らしながら家に着けば、今度は超特急で風呂に入って、髪を乾かして、やることを終わらせて、いつも座っているお気に入りのチェアにつき、静かな部屋でよく冷えたビールを飲む。この金曜日の夜22時にすべてを終わらせてのんびりする穏やかさを、町の人たちにも教えたい。最高なもんだよ。これが新生れおにーの新しい夜の過ごし方よ。

おもしろい。どんどん変わっていく自分が、まだまだおもしろい。
これは老化ではなく、進化なのだ。






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