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黒髪

気づいたらいつも黒髪ロング、前髪なしのスタイルだ。

どんなに髪を切っても、染めても、今ふうの小洒落た前髪をつくっても、必ずここへ戻ってくる。(なんかの呪いか?)
昔はここから抜け出したくて、オール金髪にしたり量産型茶髪にしたり色々と逃れようとしてはみた。でも気付けばこのスタイルに落ち着いてしまうので、もはや努力をすることに疲れてしまった。だって絶対に連れ戻されるんだもん。

記憶がある頃から私はいつも黒髪で長い。小さい頃から美容室に行けば必ず「この髪、乾かすの大変でしょー?」と言われたし、母が髪を結うときには「うっわ、重っ。太っ。」とぶつぶつ言われていた。どうやら私の髪の毛は剛毛らしいのだが、なんせ生まれてからこの髪の毛だったので実際のところはよくわからない。

黒髪ロングは、世間からはコンサバな印象を持たれる。古風とかエロスとか、よくわかんないけどとりあえず「垢抜けている」「今っぽい」とは真逆の髪型だ。(先祖はみんな黒髪なのに……とは思うが)

たまに「意志を貫いていてかっこいい」といった類の褒め言葉を言われることもあるけれど、そうやって「選択的意図的黒髪者」みたいな見られ方をされると、なんだか所在ないというか申し訳ない気持ちになる。

背も高いし眉も太い自分はいかにもコンサバでつよそうな印象を持たれやすいのだが、この黒髪、実はどうしようもないめんどくさがりの賜物なのだ。意志もクソもない。

まず美容院に行くのが面倒くさい、カラーをしても色落ちするのが面倒、そのケアも面倒、前髪がおでこをくしゃくしゃして痒くなるのも面倒、毎朝の前髪のセットも面倒。この面倒てんこもりの中で無意識に最善を探っていった結果、たどり着いたのが黒髪のロングしかなかった。ただそれだけのことなのだ。適当にオイルを塗ってブラッシングをすればそれなりに綺麗な髪になるし、なにより美容院代が浮く。その省エネ具合に吸い込まれた果てに、この黒髪は出来上がっている。

不思議なことに、自分のことを100%知って生まれてくる人間はいない。「自分とは違うもの・合わないもの」がちりつもに積み重なってからようやく、自分の輪郭がぼんやりと浮かび上がってくることが多い。

輪郭の線を形づくるのはなにも、好きなものや得意なものだけではない。むしろ自分が苦手なことや嫌いなこと、「気づいたらそうなっていること」のほうが、他者と自分を区別する線を引いていることが多い。自分の輪郭は自分の意志だけでは描くことのできない、もっともっと自然で、元からあるもので、一生消せないし、増えない、変わらない線だ。人生は(またこういうデカいテーマを語り出すおれって!)、いろんなことをテイスティングしながら自分の輪郭を掘り起こす作業に近いと思う。

私もまだまだ自分の輪郭を探している途中だけど、この黒髪問題はまさに、「自分には合わないこと」から浮かび上がってきた自分の輪郭のひとつであるような気がしている。

どれほど茶髪にしたくても、どれほど垢抜けた今風の髪型にしたくても、そして実際にそれをやっても、結局はまたこの黒髪に戻ってくる。その振り子のような動きの中に、私は自分の小さな輪郭を見出すことができる。

まだ若い私が認識している自分の輪郭は一部分にすぎない。この黒髪は些細な例だけど、きっと他にもあるはずだ。「そうせざるを得ない」小さなものが。

こういう、逃げて・連れ戻されて・逃げて・諦めて・受け入れて・の行き来を、もっと他の分野でもやってみたい。どんどん自分の輪郭を浮かび上がらせたい。そんなことを、さらさらの髪の毛をいじりながらよく思う。

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