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自己愛はゆるされない

つい先日も街を歩くときの自意識過剰という内容を書いたのだが、私の中でこの「自意識」というヤツは結構な比率で私の頭の中に居座っているらしい。

これから自分が好きで何がわるい、という内容をひたすらに書いていくので、この手の内容が苦手な方はそっと閉じてください......。

✂︎


今回は、日本って高い自意識がゆるされないよね、という話をしたい。
「能ある鷹は爪を隠す」とはいうが、日本の自意識(俗にいう自己肯定感と言われるもの)にいたっては「能があってもなくても爪は隠せ、みっともないから」というのが暗黙の了解としてまかり通っている気がする。

自分を大好きで愛していると口に出す行為は、この国では基本的に許されない。許されないというと強制力があるが、基本的には「推奨されない」。
私のイメージによる絵文字で言えば、自分が好きだと口に言ってしまうと人々はこんな顔をする。

😅


母親に「でも私、自分のこと、大好きなんだよね〜!」としれっと言ってみた時の反応がこれだった。

「ここではいいけど、他のところではいいなさんな😅嫌われるよ😅」

ふつうの常識を持っている母親にこんな顔をされるから、たぶん世間的にみてもそうなんだろうと思い、それ以来私も他では言わないことにしている。(こんな不特定多数の人が見るところで堂々と書いてしまっているが。)

こんなことをいうぐらいなので、私は私のことが好きだ。へたな謙遜も卑下もしない。自分が好き。たまにかわいいし、たまにうつくしいと思う。
そういう自分が好きで何がわるい。真剣にそう思っている。
自分が好きかと聞かれたとき、かわいいと思うかを言われたとき、本当は真顔でどんな人にも言ってやりたいくらいだ。「はい、そう思います」と。

日本のめんどうなポイントは、一方では「自信を持て」「自分をまず大事にしろ」「自分を愛せよ」と言ってくるくせに、他方では「奢るな、控えよ」と言われることだ。自分に対する愛着をすこし口にしただけで、すぐにナルシストと言われるか、思われてしまう。
(ナルシストとかナルシズムってすぐに人に言っちゃう人の方が、よほど大きいナルシズムに囚われていると思うのだけども。それはさておき。)

私自身のめんどうなポイントは、本当は自分のことが大好きなのに、それを大好きと言って人を傷つけてしまうことをもっとも恐れて、くよくよするという繊細なところだ。こうなってくると話が2重3重にもよじれてしまい、結果的に私の中のこの自意識がもくもくと膨張してしまう。一番厄介でめんどくさい。

自分が好きなんだけど、周りのいろんなバックグラウンドを持つ人の顔を思い出してうまく言えず、結局いちばんタチの悪い、このnoteで人知れず自己愛についてひたすら数千時も書くというみっともない形でしか自己愛を発散できないタイプ。ああ。

私の中で自意識が高いのに嫌われていない女王といえば、田中みな実だ。
たぶん日本の場合、しかも女性で「自分に自信がある」状態の最適な形がああなんだと思う。
所作や美意識から見るからに自分に自信を持っているのだけど、決してそれをひけらかさず、時に愛嬌、時にユーモアをまじえて女性特有のやわらかさをキープさせるという、(個人的には)魔女。

それをいちばん確信したのは、彼女が「女性らしさとは何か」という質問に関して、「芯がありつつも、コーティングが柔らかい人」と答えているのを目撃した瞬間だった。

そう、それなのだ。
「芯は持て、けれどコーティングは丸くやわらかくあれ」
それが期待される「現代を生きる女性の自信」というやつだ。芯は図太いものが通っていたとしても、それは基本的に隠さなければいけないもの。やわらかいもので包まなければいけない。誰もが触れて親しみのあるものでなくてはいけない。この矛盾を私のようにムキになって指摘するのではなく、かしこく両立できる人が田中みな実であり、日本における望ましい自尊心の持ちかたなのだ。「自信は持て、されど隠せ」といういささか矛盾な価値観なんだけども。

なぜ私がこれまで「日本は」という言葉を使ったのかというと、今見ているドラマがそれとは究極的に真反対な自尊心を持った女性たちが出てくるものだからだ。


欧米...というかアメリカのドラマあるあるなのかもしれないが、こういう女性のエンパワメント系に出てくる女性はすごぶる自尊心が高い。
友人同士で「あなたを誇りに思う。自信を持って」と当たり前のように声を掛け合うし、オフィスの鏡の前でスーパーマンの立ち格好の真似をして気合を入れようとするし、ともかく自分を誰よりも信じた故のパワフルな行動にでたりする。

こういうドラマを見ていると、自分の中で普段は隠されている自己愛のようなものが一気に解放されるような気がして、とても清々しい気持ちになる。あっちの女性の世界観の方が、私にはよりナチュラルに思えるのだ。田中みな実のような、やわらかくコーティングされたものではなく。

でもあまりにもあからさまだから、彼女たちのまぶしい自尊心に思わず目を細めてしまう人もいると思う。私の中では「自尊心」が低い人ほど「自己肯定感」を嫌う傾向にあると思うし(自己肯定感に高いも低いもない、自己肯定感ってなんだよという意見)、反対に、「自尊心」が高い人ほど「自己肯定感」は何をする上でも最低限は必要だと考える傾向にある。
日本は特にこの、自尊心高めな人に対する無言の圧がすごい。「自尊心なんてなくて当然だ、なんで持ってる」と言われているかのような圧を感じるときがある。(最近は海外からのself loveの概念が広まって、同年代ではだいぶ改善されてきたと思うが)変なところで繊細なところがある私は、そういう圧を察知して勝手に苦しくなっている節がある。

だからああいうアメリカのつよい女たちが出てくるドラマをみて、当たり前のように自己肯定感が認められ、褒められる世界に住んでしまいたい、とまでは思えないのは、ひとえにこの中途半端に繊細な部分があるからだ。こんな感じだと、本場の自己愛のつよさに圧倒して何も言えなくなってしまうだろう。

私のような中途半端な人間は、日本の中で無言の自己愛の圧を感じながら、こうしてnoteのような静かで誰も見ていない場所でしれっと呟くのがちょうどいいのだと思う。


あ、それでも自分を愛することは大事だと思う。
日本人はもっと自分を大切にしてあげてほしい。自分を大切にするとは、嫌なものを避ける、好きなものを近づける、自分を自分で気づいてあげるということだ。ちなみに私は自撮りも鏡を見ることも好きで、全然やる。他の人は知らないが、すくなくとも私の前では、もっとみんな自分を好きだと言ってもらって構わないと思っている。服装や顔が決まった日にはバシャバシャ写真を撮ってアップしてほしい。

私はそれができないのでたまにここに来て、閲覧注意のハサミ✂︎をつけて、発散させたいと思う。




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