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〆の一杯

お酒を飲んだ帰り道、必ずと言っていいほど〆の一杯を食べている。
たいていは麺か牛丼だ。

そんなにお腹もペコペこではないのに、帰り道にふらっとひとりでお店に入って〆の一杯を胃にかきいれる。お酒がかなり回っている時はどう注文してどう完食したのか全く覚えていないほど危ういのだが、だいたい飲んだ日の帰り道は必ず炭水化物をひとりで静かに摂取するようにしている。

私にとってこの行為はある種の儀式に近い。
家に着く前に、一人で今日の飲み会を内省できるからだ。

あの時、あの人はこんなこと言ってたよな。私はその時こう思ったな。今日の飲み会はとってもよかったな。つらまなかったな。特にあの人のあの話が良かった。おもしろくなかった。やっぱりあの人は〜〜な人だな。おもしろいな。あの時、もっとこういう打ち返し方をすれば良かったな、など。
酔いすぎて、店でそれを食べていた時の記憶が曖昧なときであっても、そこでどんなことを考えていたか、どんなことを反省していたかはなぜかはっきりと思い出すことができる。

人と会った日の帰り道、家に帰るよりまず自分と向き合う時間が私にとっては大切なのだ。ひとりで入りやすく、かつ夜遅い時間までやっている店だとなおのこと良い。

今日は24時間営業の松屋(最寄り駅の裏にあるから)でひとり内省会をしていた。飲みの席での自分の立ち回り方や、反省や、これからの発言で意識するべきこと。自分の不得意なこと。もっと押し出せば良かったこと。印象的だったこと。
特に利害関係の絡む席ではただ酒を楽しむだけではなく、頭をつかわなければならない。
「もっとこうできたはず」という薄い反省を抱えながら、牛丼をかきいれた。
目の前に、私と同じくらいの年齢の若い女性がいた。バリバリの若いネイルをしていて、健康志向なのか彼女はコールスローのサラダに温泉卵付きという、チェーンの牛丼店で頼むにはややリッチなメニューを頼んでいた。

店内からは、懐かしいkaty perryの『california gurls』が流れてきた。私が中学校2年生の時に大好きだった曲だ。帰り道、この曲を久し振りに聴きながら帰ろうと思った。

カロリー云々関係なく、飲みの後にはひとり内省する時間が必要だ。
やっとひとりになれる時間。やっと深く考えごとができる時間。
私のような人間には、必要なリセットタイムになる。おなかがすいたとか、小腹が空いたとか、そういう問題ではないのだ。
もはや、瞑想に近い。

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