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ブルベイエベなんて、知りたくなかった

「それがあるのとないのとでは多少便利さが変わるが、トータルでみれば、結局ない世界の方がよかった」というものが世の中にはたくさんある。

私の最近でいえば、パーソナルカラーというものがそれに当たる。
日本人の肌は主にイエローベース(黄味がかった色)かブルーベース(青味がかった色)の2種類に分けられる。女性であれば分かっていただけると思うが、この肌が黄色っぽいか青色っぽいか、という問題は地味に厄介な問題なのだ。似合う色が変わってくるからだ。

小さい頃から、私はピンクやベージュなど、好印象を持たれる女性らしいカラーが似合わないことをおかしく思っていた。具体的に言うと「石原さとみスタイル」。ああ〜。
薄ピンクのスカート、茶色く透けるような髪の毛、白いなめらかな肌...石原さとみスタイルがまるで似合わない。だから典型的な「モテるあざとい女」に私はなれない。

私はブルーベース、ブルベといわれるジャンルだと思う。
ピンクはピンクでも、青を混ぜた紫に近いものや、バーガンディのような暗いピンクの方が似合う。

たしかに推定でも自分がブルベと知れたことにホッとして納得した自分は少なからずいる。似合う色の服が本当に少ないから。
私の妄想では、日本の女性はイエベが多い。だから、世に出回っている服やコスメもイエベが似合うものが圧倒的に多い。
アウトレットや街中の百貨店などに行ってもどれもしっくりこない..というか全て自分に似合わないような気がしていたのは、何も見当違いなのではなかったらしいのだ。単純にそれがイエベ向けの色だった、ということなのだ。

自分のパーソナルカラーを知ったということはすなわち、これからの世界をおそらく、こうやって「あれはイエベだからダメ」とか、「これはブルベだからOK」とバサバサ裁いて判断しなければいけない世界の住民になったということだ。それが、余計なのだ。めんどくさい。

洋服を見た瞬間、いちいち頭の中に「はい、イエベ〜」「はい、これもまたイエベ〜」「お、これはブルベかも!」「おおお、これはブルベのためのピンクだ!!!」という独り言が増えた。

再来週に大学の卒業式を控えているのだが、今のところ袴を着ないつもりでいる。
叔母は昔琴の習い事をやっていたことがあり、私物で振袖と袴を持っている人だ。母親が私も借りてみたらどうか、と私に袴の写真を送ってきたのだ。今日その写真を見せてもらったとき、咄嗟に思い浮かんだ言葉が「これ、イエベだろうな〜」という一言だった。

我ながらサイテーだと思った。レモンのように明るいイエローの着物に、茄子のように深い紫の袴。う〜ん、色のコントラストが強くて正直、私には似合わないと思ったのだ。

どこが?と思われるかもしれないけど、もし私がブルベイエベの世界など知らなかったら、これをどう思っただろう?もしかしたら、「まあ、なんて美しいイエロー!とりあえず試着してみたい!」という気持ちになっていたかもしれない。

中途半端な入れ知恵のせいで、本当は似合うはずのものを、手に取ってみる気にもならなくなってしまっている。自分に似合うものを増やすための概念なのか、減らすための概念なのか、わからなくなってきている。


それでも、女性のファッション・コスメ領域は最近皆息を吸うように「私はイエベなので〜」とか「ブルベは〜〜〜がダメで〜〜〜」とパーソナルカラーを免罪符のように口にしている。自分の皮膚の色でものを選ぶことが、当たり前のようになってきているらしい。たしかにわかりやすいけど、両者に分断を招きそうで怖い。

だいいち、ものや人を見て、こんなに単純に憶測の二元論で裁いて片方の世界にサヨナラと言ってしまっていいのだろうか?と、なぜか私の良心のようなものが痛む。皮膚が何色だからすなわち何々だと決めつけることは、ある意味差別的であると言える。
これが将来的に膨張して「これだからイエベは」みたいな、女の嫌なところが詰まった戦いが起きないといいな、とは思う。すべては私の杞憂なんだろうけど。

私にとってこの入れ知恵は、確実に余計だった。
「石原さとみスタイルはなんだか似合わないな〜」で済ませたかった。

イエベブルベなんて、知りたくなかった。

皆さんはどう思いますか。



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