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書き始めたら、書き終えなくてはならない

ペンを取ったら、最後は必ずどこかにおかなくてはならない。
まるで小泉構文のようなことを言っているようだけど、最近の私のnoteにおける悩みはまさにそこにある。

書きはじめた文章を、必ず終える。しかも、少なくとも読んだ人が納得できる形で。なんて無茶苦茶なルールなんだと、たまに思う。
支離滅れつ(れつの漢字がわからない)の結びにはできないし、文章を永遠に書くことはできない。そこは絵や音楽と1番ちがうところだ。他は一筆や一音ですむけれど、言葉に至っては一語で済む「文章」というものは存在しない。まとまった言葉のつらなりを書いて意味を持たせ、「めでたし、めでたし」で終わるように整備しないといけないのだ。しかし、実際心から湧いておもむろに書き始める内容に、綺麗な結びなどあるはずがない。身体に近しい言葉であればあるほど、そこに終わりはない。大抵は現在進行中か、自分の整理が追いついてないか、答えや結論がわからないまま宙を漂っている。

ここのところ、そのルールにかなり悩まされている。せっかく調子良く書き始めたのに、着地が永遠に決まらず下書きに入ったままのものもいくつかある。ちょっと息苦しい。かといって俳句や短歌をつくればいいというわけでもないし。
う〜ん、毎年定期的に、この問題にぶち当たっている気がする。自由で伸びやかな言葉の世界は、いったいどこにあるのだろう。

結末や答えのないものの方が多い社会で、強引に結びをもってくること。
とりあえず書き終えること。その歯切れの悪さ、心地悪さ、物足りなさのようなものには、いつでも敏感でありたいと思う。最後の最後に格好をつけて「言ってやった」とニヤニヤしてはいけないと思う。もっと真剣に向き合っていたい。書き慣れてくると、あたかもそれが立派な「オチ」かのように書き飾ることだってできるからだ。しかしそれをしたときの苦々しさと言ったらもう。まさに「お天道さまがみてる」ような気持ちだ。

多分だいじなのは、こういう、言葉に対して常に正直であり続ける姿勢だ。そう信じながら、このnoteもここで唐突に筆をおく。なんだか気持ち悪いなあ、すっきりしないなあ、まだ書きたいことあるのに、と思いながら。


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