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ゆけ、ゆけ、どこまでも


乗っていてたのしいのは、都心からまっすぐ郊外へと伸びていく路線だと思う。
有名なところで言えば中央線、総武線。あとは京葉線や東急東横線(みなとみらい線)も好きだ。
高いビルや密集地帯をかき分け、ひたすらにまっすぐ突き進んでいるだけ。それなのに、電車は気づけば都会を離れ、どこにでもある普通の街へと連れて行ってくれる。

今日は天気がよかった。多くの家のベランダで、真っ白に光ったシーツが乾かされていた。風を受けて大きくふくらんでいる。きっと自分と同じような、なんでもない人たちが普通の暮らしを送っているのだろう。

わたしたちは多分、心のどこかで東京のこの雑踏が、無限につづくと勝手に思っている節がある。
でもそんなことはない。電車に揺られて30分経てば、都会エリアはちゃんと終わる。東京にも終わりがあるのだ。ずっと中心部に暮らしていると無意識にムクムクと立ち上がってくる「俺らは都会住み」という思い上がりが、即座にただされるような気持ちになる。
だから、田舎へと連れて行ってくれる電車が好きなのだ。

最近気づいたのだが、私は東京のことがあんまり好きではないようだ。
故郷である広島のことが大好きだから、というのもある。地元に帰ると、街や人々の余裕に毎回驚かさる。道を譲り合っただけで深々とお辞儀をされたり、ありがとうやごめんね、が知らない人であっても目を見てきちんと言える人たちが多い。
あったかい。あったかくて、泣きそうになる。

広島の誇りである温暖な気候、海と川と山がコンパクトにぎゅっとつまった市内の眺めも大好きだ。広島に住んでいる人は無条件に愛せるというくらいに、広島という土地が人にもたらす何かやさしいものを、心から愛している。

東京はビルのコンクリのような冷たさが街を覆っている。あたたかいものは、いつも入り組んだところにしかない。それはごちゃごちゃした飲み屋街でも、人の心でも。
みんな生きるので精一杯だ。ここには余裕なんてない。隙間がどこにもない。おばあちゃんやおじいちゃんも、そりゃあ逞しくずうずうしくならざるをえないだろう。

それでも、東京は誰かの逃げ場所だったりする。
安易に否定することはできない。

話がそれた。

わたしは田舎でも都会でもない、広島の、いたって普通の街に生まれて育った。普通の街を見ると安心する。どんな思いで今自分が東京にいるのか、どんなに自分が広島を好きか、どんな思いで上京してきたか、そんなことを私に思い出させてくれる。「もといた場所」に、軌道修正してくれる場所なのだ。

ここ最近、移動で遠く離れた郊外に行くことが多くなった。さっきまで東京駅でかっこよく停車していたのに、ちょっと目を落とした隙にぐんぐんと住宅地につっこんでいく電車は清々しいほどだ。

ゆけ、ゆけ、どこまでも。
大多数が住む、日本の果てまで。

まっすぐに伸びてゆく電車が印象的な映像がある。私が世界で一番好きなバンド、MONONOAWAREの『そこにあったから』だ。

そこにある歌詞を、今日一日ずっと反芻している。

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