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いとこの結婚報告を受けた日の備忘録

1個上のいとこが、とうとうプロポーズを受けたらしい。
今年の正月早々、親戚で集まった新年会にフィアンセを呼んで紹介していた。6月に入籍するとのことだ。

いとことは同じ団地に住んでいて、小学校も一緒だった。
1歳上だから学校行事も一緒に出ることが多く、よく遊びに出かけていた。友達の延長線上のような近しい存在だった。

そんな彼女が結婚と。やはり地方は人生のコマを進めるのが早い。正月に話した時も「まあウチも来年で25じゃけえね〜そろそろ...(結婚だよね)」みたいなことを言っていて、「はえ〜〜〜」と思ったのを鮮明に覚えている。この前学校をようやく卒業したばかりの私からすれば、結婚など自分の葬式なみに想像がつかない行事だ。結婚と口にするのすらなんだか落ち着かない。けっ...こン...?

結婚願望は今のところ全くないのだが、かと言って婆さんになってひとりで暮らしている姿も全く想像がつかない。そして、とりあえず「結婚しました」という言葉を1回でもいいから口にしてみたい欲望だけはある。「大学卒業しました」くらいのノリで。

25で「そろそろ結婚しないとなあ」と話す真面目ないとことは対照的に、私は30歳になるまでは何がなんでもひとりで遊び尽くすと決めているタイプだ。人生でひとりの時間など、よくよく考えてみれば10年あるかないかぐらい。心身が一番元気な時に遊ばないでいてどうする、というのが私の本音だ。30代まではひとりで行きたいところに行きまくり、食べたいものを食べ、ひとりで休日を過ごす。立てた計画を実行してもいいし、実行しなくてもいい。計画すら立てなくていいし、約束も義務もない。なんてサイコーなおひとりさまぐらしなんだ。どう考えても最高すぎるじゃないか。私はまだまだやりたいことが大なり小なりあるし、自分の時間と金を自分のために使いたいと思っている子どもだ。田中みな実のように「自分のために頑張るのが疲れた」境地に全然達していない。そう言えるまではひとりでいたい。

だんだんと社会が変わってきているので、こういう私みたいな女の生き方が自然に受け入れられるようになっているのがありがたい。はやく家庭を持ちたい子は20代前半でさっさと結婚して、仕事をしたい子は仕事をする。ふらふらしたい人はふらふらして、結婚したくない人はしなくても全然OK.
そのバリエーションがいい。こんな人間なのでもはや親戚や親の誰からも期待されたり心配すらされていないのだが、その諦められ具合が心地よかったりする。誰からも諦められている状況が1ばんの自由だ。

今はまだ食らっていないけど、そのうち女同士で会ったら「結婚はしないの?」とか「これからどうするの?」という会話になっていくのだろう。そのうちご祝儀がウンタラカンタラと言っているかもしれない。そして子供がウンタラカンタラと言うのだ。いずれにせよ私には100年早い。

いつか結婚したいと思う日が来るだろうか。私がそう思うとき、どんな時だろう。あるいは別にいいや、と思う理由はどんなものだろう。焦るだろうか。寂しくなるだろうか。ここからどのように変化していくのか、何が起こるかが唯一の楽しみだ。ひとつ言えるのは、結婚するために結婚をするのは嫌だということだ。結婚のための結婚ではなく、パートナーシップ協定のための結婚。パートナーシップが組めない、組まなくても良いと思えるのなら結婚はしなくて良い。焦ってするものでもないし、ましてや「落ち着かせる」ためにするものでもない。だいいち、人生で出会うべき人はほぼ決まっているはずだ。そうなるべきであればそうなるし、そうならないのならそうならない。それが全てだ。私はあくまでその流れに身を委ねることしかできない。
こんなことを書いて、後々「ああこの時の私、まだ若いなあ」と思うだろうか。

...という、いとこの結婚報告された日に私が考えていたことの備忘録です。
とにもかくにも、いとこには幸せになってほしいものです。  




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