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5月27日、きょうは百人一首の日らしい。

毎日ここへ何かを書きにきている私は、もはやキツイを通り越してゾンビのような面持ちで椅子に座っていると思う。考える前に、何を書くか定まる前に、ほぼ思考停止でPCを開いているのだ。良いか悪いかはさておき、書いている途中よりもむしろ「これからネタを捻りださなければいけない」とテーマを探している時が一番つらい。とにかく早く決めて、とにかく早く書き出したい。

今日も今日とて書くものが一向に思い浮かばない日で、面倒くさいので適当にYouTubeでsilksonicのライブ動画をみて(ブルーノマーズやっぱかっけーとか思いながら)時間を潰し、気づけば1時間半ほどが過ぎていた。
いよいよ今日はダメだろうと思った次の瞬間、とつぜん舞い降りてきたのだ、今日のアイデアが。

そうだ!!!ネタがない日は!!!「今日はなんの日?」をみて無理やり書けば良いのではないか!!!

これは天命。もう最高。ありがとうございます神様。とうとう見つけてしまった。毎日のネタストックが。
たまに車に乗ると「ポン♪ 今日は〜〜〜の日です!」と誰得な情報を教えてくれるカーナビがあるが、そういうのはまさに我々のような、毎日何かを発信し続けなければいけない人間の役に立っているらしい。

調べてみると今日はなんと私の好きな、百人一首の日ということが判明した。すばらしい!!!!なんという天啓なのでしょう!!!!ありがとうございます神様!!!!!これで今日とりあえずnoteに書くネタが決まりました!!!!!

てなわけで、今日は好きな百人一首の話をしたいと思う。

百人一首は小倉百人一首とも言われており、みんな大好き藤原定家が1235年(調べました)に百人から1つずつ選んで編纂した和歌集のことを言う。(小倉かるたは有名ですね)最近で言えば『ちはやふる』で競技かるたを題材にした漫画もありましたね。

遡ること787年前の今日、定家によって、現代にも続く超有名な和歌集百人一首が完成した。それがきっかけとなって、この日を「百人一首の日」と呼ぶようになったのだそうだ。(ソースはYahoo!キッズだから間違いない)

高校生の頃、つまらない国語教師の話を聞いているふりをしながら私はよく国語の資料集を読み漁っていた。分厚くて、重くて、字が小さくて、教師も含めて誰も真剣に読もうとしなかったあの資料集こそ、私にとっては何よりも面白い国語の教材だった。
自分の好きな平安時代の風俗や昔の天皇家の家系図、絵巻付きの古典文学など...なぜこれを教師は教えてくれないのか、全く理解ができないほど面白かった。とにかく読んでいて飽きない私の知られざる世界が、そこには広がっていたのだ。

そこで私がよく読んでいたのが、この小倉百人一首のコーナーだった。資料集なので、1から100の百首全てが掲載されていた。しかも活用系などの文法の解説つきで。(懐かしい...!!!)
なぜ定家がその歌を選んだのか、その歌が詠んでいる景色や心情はどういったものか、またそれを成り立たせる時代背景や詠み手の置かれた立場がどんなものだったのかが、教科書よりも分かりやすく詳細に書かれていた。それをつまらない教師の話を差し置いて隅々まで読むのが好きだったのだ。学校で習う説明より資料集を読んだ方が何倍も面白く、ストーリー性があり、頭に入ってきた。

それから浪人生になり、塾で古文オタクな強烈な予備校教師と出会う。彼女から百人一首を題材とするザ・少女漫画『うた恋い。』というものを伝授され、私はいよいよ古文ファン、古文好きになってしまった。

うた恋い。とは。百人一首で読まれた和歌に出てきた交友関係、恋愛関係に作者である杉田圭氏の解釈を交えて少女漫画にしたものだ。ザ・少女漫画なので、カップルによってタイプが全然違うし、随所にきゅんきゅんポイントが散らばっている作品になっている。大人な恋愛をしている2人、男側がツンデレ、女の子が秀才な話、身分の違いでやむなく思いを諦める2人など...現代にも通じる恋愛感情で描かれていて、10代の私でもすんなりと感情移入ができた。
キャラ付けがはっきりしているので、多分誰でも推しメン・推しカップルを見つけられるはず。ちなみにこのフルカラー版で出た一巻が、私の人生で初めて買った漫画だった。それまで漫画というものに縁もゆかりもなかったのに。

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世界三大美女・小野小町に恋をしていたという僧正遍照の一句をうたうシーン。
『天津風(あまつかぜ)雲の通ひ路(かよひじ)吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ』


分かりますか…!!!!この良さが…!!!
古文のこと、遠い昔のよくわからないめんどくさい奴だと思ってませんか…!!!そんなことないんですよ…!!!だって私たちは皆同じ人間だもの…!!!!

作者の拡大解釈が挟んでいるとはいえ、キャラ付けがはっきりされたカップルや2人の間の、微妙な感情の最高潮でドカーンと出てくる一首がどれも素晴らしくて胸が震える。そりゃあ700年後も詠まれるわけさ。もう好きにならざるを得ない。この『うた恋い。』と一緒に資料集を行き来すればより一層その歌の味わい深さが沁みてくる。古文の勉強をしながら、気づけば700年以上も前の歌に深く共感している自分がいたのだ。言葉の綾、即興芸、写真のない時代にいっときの感情や風景を結晶にしておく唯一の方法、雅な遊び。この私が好きにならないわけがない。以来、古文の授業やテストは私の得意科目となった。

最後に、私が百人一首でいちばん好きな歌を紹介して終わりたい。
33番、紀友則が詠んだ歌だ。

ひさかたの 光のどけき春の日に
しづ心なく 花の散るらむ

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(日の光がやわらかにふりそそぐ今日――風もなく穏やかなこの春の日に、どうして桜の花は慌ただしく散ってゆくのだろう)

他にも色鮮やかな情景が思い浮かばれる歌はいっぱいあるのに、私は初めて詠んだ時からこの歌が忘れられない。
白い光の差す静寂の中から、花びらがこすれる音だけが聞こえてくる。それを作者は静かに、あぐらをかいてただぼうっと見上げている。春特有の白っぽくてまぶしい光の中のど真ん中に、大きな桜の木が立たずんでいる。なんて甘美で、せつなくて、さみしい歌なんだろう。

これを男性が歌っているのです、どうですか。あなたは光の中を静かに舞い散る桜をまじまじを見つめてうっとりしたことなどありますか。桜の前でぼうっと佇むことを、ダサいことだと思っていませんか。ダサいなどひとつも思わず、たった31文字でのどかな春の日を目の前に立ちあげさせた紀友則に私は拍手を送りたい。ちなみに、この紀友則は、あの土佐日記を書いた紀貫之の従兄弟だったのだそうだ。
今年の桜はとっくの昔に散ってしまったけれど、毎年春になるとこの歌を思い出す。そして、光のどけき日に、しづ心なく花が散っていた当時の京の桜を想像しては言葉の力を再認識して、やっぱり私は言葉が、日本語が好きだと感じるのであった。

今の時期にぴったりなのは天の香具山の歌か。

春すぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
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いつの間にか春が過ぎて夏が来たらしい。どうりで、夏になると白い衣を干すと言い伝えのある天の香具山の麓に、目にも鮮やかな真っ白な衣が干してあるのが見えるよ。
2番 持統天皇

古典はいいものです。私もまた色々読み直してみようと思います。
次の次の大河ドラマも、紫式部さまに決まりましたしね。

紫式部が詠んだものも、百人一首にも収められていました。

めぐり逢ひて 
見しやそれとも わかぬ間に 
雲隠れにし 夜半の月かな
ーーー
久しぶりにめぐり会ったのに、それがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまうなど、まるで (早くも) 雲に隠れてしまった夜中の月のようではありませんか。
https://hyakunin.stardust31.com/51-75/57.html


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