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「何者でもない」の何って何?

「何」がゲシュタルト崩壊しているこちらのタイトル。

最近なにかと「何者」っていう言葉を聞くようになったけど、そもそもその何者ってなんだよ、というのを今回は書きたい。

使っている人たちの文脈から推測するに、どうやら何者という言葉には「肩書きがある人」しかも「メディアによく出てきて、SNSのフォロワーもたくさんいる人」というニュアンスがあるようだ。憧れ、地位、肩書き。そんなわかりやすい成功のイメージ。それがわたしたちの中で言うところの「何者」なんだろう。

何者という言葉ほど若者を惑わすものはない。
私たちはよく「何者かになりたかった」「何者でもなくわたしはわたし」「何者かになれない」と言う。私はまだ若いから、そしてたぶん社会を舐めているから、みんなの言うところの「何者」に憧れて目指している部分もあるし、反対に「何者」なんて、なんだよ全く!としびれを切らしている部分もある。
いやどちらかというと、「何者かになんて、なれないよ〜」「何者かになんて、ならなくてもいいよ〜」といってくる人たちに対して、プチ反抗期を抱えているかもしれない。
私にそう言ってくる人は大抵、夢にやぶれて現実を知った人か、夢がなくてコンプレックスをかかえている人だったりするからだ。私にはぜんぶ負け犬の遠吠えのように聞こえるのだ。
やりたいことを持っている人たち、ささやかな憧れを抱いてる人たちに、はなからそんなこといわないでくれよ、と思う。

何者を目指してなにが悪いんだろう。ささやかな希望や、憧れを持つのに何が悪いんだろう。
まだ夢破れていないうちから、どうして夢を見るのを諦めなければいけないんだろう。

……何者という言葉をいちばん恐れて、そこから必死に逃げようとしているのは紛れもない、このじぶんなのだ。何者が怖い。でも何者になりたい。ところで何者ってなんなんだ。

ささいな言葉のあやなんて気にせず、ほんとうは何も気にせず我が道をつっきりたい。

何者という言葉について、考えている。


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