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恍惚のモヒカン

地毛でモヒカンをつくっている人に、遭遇したことがあるだろうか。

私は人生でまだ2回くらいしかないのだが、この地毛モヒカンを見ると、なぜか無条件にテンションがあがってしまう。芸能人を見るよりうれしい気持ちになり、惚れ惚れとしてしまうのだ。

1度目はたしか池袋か新宿か、大きな駅の改札口だったと思う。人混みの中で、一目でわかる後ろ姿。エレベーターを上がっていく地毛モヒカンに遭遇した。うつくしい、ニワトリのトサカのような完璧なモヒカンだった。この「地毛」というところがミソで、モヒカンらしき人を見ると必ずそれが地毛かどうかを近くまで行ってまじまじとみて確認するようにしている。

ガチガチに固めて、長さがあり、かつモヒカン部分だけ赤だの青だの色を変えていると、さらにポイントが高くなる。

想像してみてほしい。彼らは流行もくそもないモヒカンという髪型をあえてチョイスし、地道に髪を伸ばし、髪の毛を重力に逆らうようにガチガチに固める作業を毎朝やっているのだ。周りから奇怪な目で見られたり、怖がられたりすることもあるだろう。被りたい帽子があってもかぶれないだろう。シャンプーも時間がかかりそうだ。モヒカンには、そんな煩いや世間から向けられる目に争う、少年のようなロックスピリットの象徴と言えるのではないか。私はたぶん、この現代においてモヒカンを選ぶ人たちの精神性が好きなのだと思う。私も何かとレジスタンスをしたい人間であるから。

ちなみにこれはただ言いたいだけの余談だが、私が好きな男性の髪型は0か100だ。(マッシュにはいまだに偏見を持っている。人と話す時は目を見せろよ目を)
0と100すなわち、髪があるかないか、だ。もっというと坊主かロングヘア。坊主は極限まで「剃って」頭蓋骨の形が綺麗に浮き出ているほど素晴らしい。頭が細い坊主は芸術品のようにまじまじと見入ってしまう。髪をいちいち気にするのが面倒で、頭蓋骨が綺麗で顔が縦長の男性はみんな坊主にすればよいと思っている。
反対に100、すなわちロングヘアはいわずもがな、私の最愛の推しであるみうらじゅんがロン毛だから、と理由で好きだ。最近はちょっとおしゃれな男の子が髪を伸ばしているのをみるが、私はどちらかというと怠惰なロングヘアの方が好きだ。「だって切るのめんどくさくってえ〜」と言いながら髪をかき分ける、ごくごく普通の男のロングヘアほどセクシーなものはない。
モヒカンは0か100の100に値する、最極右の異端児だと言える。だからモヒカンに強く惹かれるののかもしれない。(人として好きになれるかは別だが)

なぜこんなにつらつらとモヒカンを書いたかと言うと、なんと今日、地毛モヒカンに出会ってしまったのだ。これで人生2回目。
しかも同じ駅のユーザー、家の近くに住んでいるらしいことが判明した。

無条件にテンションがあがった。

彼はきちんと重力に逆らった地毛のモヒカンで、先っちょを赤く染めていた。歩き方もなんだかよかった。足元はティンバーランドのようなイエローのブーツだったが、すり足じゃなくてきちんと静かに踵を上げて、ゆっくり大股で歩いているのもなんだかおもしろかった。モヒカンの人って、先のとんがった靴を地面にあとがつくくらいすり足で歩いてそうじゃないですか。
スーパー帰りなのか、モヒカン+革ジャンでパンパンになった白いビニール袋を持って歩いているのが本当におもしろくてよかった。

かっこをつけている人の「生活くささ」を垣間見る瞬間が一番好きかもしれない。愛おしい感じがニヤニヤしてしまうのだ。今回のご近所地毛モヒカンのトドメの一撃はなんと、大雨の中、道端にあるお地蔵さんに手を合わせて拝ていたことだった。皆さん、道端のお地蔵様に突然手を合わせたことはありますか?私はないです。
してやられた。なんでそんなにおもしろいんだろう、モヒカンの人って。

とにかく、私は変な髪型をしている人が好きだ。それに至った背景や意思決定、性格などは、他の人たちよりよっぽど意識的なはずだ。ファッション同様、髪型はその人の精神性を表す象徴となる。そこで尖らせられる人の価値観を知りたい。そこに振り切れる、彼らの勇気を讃えたい。ああ、恍惚のモヒカンよ。私は地蔵ではなく、またいつか、あの人の地毛モヒカンを拝みたい。


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