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白像② はじめての美術モデル

*美術モデルという仕事のあれこれを綴る、不定期連載です。

前回はこちら。

なんと最新の初回から1年以上時が経っているという……遅くなってしまい申し訳ありません。お題箱にもこのような質問が来ておりました。

美術モデルの体験談を書いてくださるそうですね。楽しみです。美術モデルは見られるお仕事だと思いますが、反対に、美術モデルさんは描き手をどのように見ているのか興味あります。例えば、この人は手がよく動いているとか、この人は今どこを見ているとか、視線がいやらしいとか、わかるものなのですかね。裸になると視線に敏感になると聞きますが。

こちらのお題に対し、5月中には必ず出すとお約束しました。
くださった方、ありがとうございます。あっという間に5月も残り2日。ギリギリとなってしまい、すみません。

いただいたご質問からお答えしますと、描き手さんの手の動き、視線などはモデル台からもよく見えます。1ポーズあたり10分〜20分なので、うっとりと見惚れている暇はないんだと思います。みなさん、ポージング開始早々に熱心に描いてくださいます。まずはキャンバスに中心線を引く人、全体をざっくり描いていく人がいたりとさまざまです。いきなり描かず、はじめはじっくりと観察し、全体のプロポーション(骨格のバランス)を頭で把握してから描きはじめる人もいるようですね。わたしという身体はひとつだけなのに、描かれるデッサンや進め方は人それぞれでおもしろいです。
ただポージングの時は、描き手の方と目線を合わせないようにしています。どちらも気恥ずかしくなってしまうので……。

たまに視線のいやらしい人、います。
どちらかというとそういう方はポーズ中に気づくというより、間の休憩時間で「おや?」と思うことが多いです。休憩時間中はガウンを着ているのですが、それを脱ぎ着する瞬間の目線とか、休憩中にやたら視線を感じる人とかに気づいます。こちらが全裸で全てを晒し出している分、視線には普段よりも特に敏感になります。変な人は、視線に独特な「匂い」があります。
前に、寝ポーズ(台の上で寝そべってポージング。立ちポーズ・座りポーズなど色々あります)を5分間で色々ポージングしているとき、なぜか必ず局部が正面になる位置に来て描いている人もいました。完全に不審。

しかし、そんなことは稀です。
会場はすべて事務所が厳しいスクリーニングをしており、変な人がいる場所ははじかれます。長年の信頼を築けている場所にしか送り込まれません。万が一のことがあれば即事務所に報告して、注意してもらうようにしています。

それでは、本題へ移っていきます。初めての会場から。

***

2022年の冬、わたしは大学4年生だった。
卒業後の進路も特に決まっておらず、ふらふらとしていたとき。ZINEのフリマ会場で出会ったお客さんに美術モデルの仕事を教えてもらい、それまで全くしらなかった美術の世界に片足を突っ込むことになった。

はじめての会場は、都内某所の絵画教室。子どもから大人まで、講師立会いのもと人物画をメインに教えているアトリエだった。

12月の寒い時期だったので暖房はガンガン、ストーブも2台設置されるなど万全の寒さ対策をしてくださっていた。

もう2年くらい前のことなので覚えていないが、講師の人から「これが初めてなんですよね?」と聞かれたような気がする。事務所の方から断りがあったのかもしれない。それまでに一応色々ポージングの写真や資料を見て行ったのだけれど、自分がやるとなるとうまく想像できない。だって人前にたって全裸でポーズをしたことなどないのだから。

そう、美術モデルはポーズを自分で決めなければならない。

会場側から立ちポーズ・座りポーズ・寝ポーズなどざっくりとしたオーダーはあるが、そこで足を組むのか、腕を上げるのかといった細かいポーズは全てモデルに委ねられる。描き手も、その時出てきたポーズを描くようになっている。

初回の某アトリエは、教室ということもあってモデルの資料集のようなものがたくさん置かれていた。「もしご興味あれば」と、講師の方も挨拶がてらいくつか本を開いてくれる。どれも簡単そうに見えるが、さぁどうなんだろう。緊張と不安でポーズを覚えることもできず、そのまま着替え用の小さな控室へいった。そのアトリエの控室は階段下のスペースを利用したもので、ちょうどハリー・ポッターが最初の家に住んでいた時のような部屋だ。

オレンジの間接照明に、花柄の椅子にクッション。鏡はもちろんティッシュに綿棒、ゴミ箱と消毒液もあった。控え室の割にはアメニティーが充実している、かわいい部屋だった。こういう細やかなところから、その会場がどれくらい真剣にデッサンに取り組み、どれくらいモデルのことを配慮してくれているかがわかる。200mlくらいの、小さなペットボトルのお水をもらえたのも嬉しかった。こういうささやかな配慮がモデルの心理的安全性に繋がる。ポージング前に、「よし、この人たちのために頑張ろう!」とより一層思えるのだ。

控室を出ると、会場の中心にモデルが立つ真っ白な「モデル台」がドーンと構える。真っ白なシーツを被せた、1.5畳ほどのお立ち台。高さは会場によってまちまちだが、初回のここは30cmほどあっただろうか。その周りを、ストーブと、今日の描き手たちがぐるっと囲むようにして待っている。
ここがモデルの舞台だ。その時間、その空間だけ、わたしは白像になる。静かに主役になる。

その日集まった描き手さんは、全部で20名を超していたような気がする。私が着替えを終えて台の近くにいくと、持ち物や陣取り、スタンバイ完了の様子から、みんな描き慣れている雰囲気がぷんぷんと伝わってきた。
どの場所もそうだが、ポーズがはじまる前の待機時間は緊張感が漂っている。描き手の「今日はどんな身体のモデルだろう」という期待と不安のようなもの、それからモデルをするこちら側の「今日はどんな描き手がいるのだろう、私のポージングは好まれるかしら」という不安と興奮が入り混じり、やや重たい空気になる。さながら神社仏閣の儀式前のような厳かさだ。

それから初めての美術モデルでどんなポーズをしたのか、もう覚えていない。とにかく全力でポーズしていた気がする。
確か1ポーズあたり10分くらいだった気がするが、そのとき頭で考えていたのは「次のポーズどうしよう。ちょっといまのポーズは腕に血がいかなくて辛いな、あぁ、あと1分でまたポーズが変わってしまう、どうしようどうしよう!!!」ということだった。どれほど考えていても、次のポージングを決めるときには頭が真っ白になり、なし崩し的にポーズが決まる。とにかく最初はポージングのことばかりで時間はあっという間に進んでいった。

気づけば外も真っ暗になった頃、生まれて初めてのデッサン会は無事終了。
終わった後、描き手の方から拍手をもらった。初心者が醸し出していた必死さを、向こうも気づいていたのかもしれない。会が終わって拍手をいただけると、ほっとする。今日のポーズは良かったんだな、と思えるから。

終わった後、なるほどクロッキー(素早く、制限時間内に描くデッサン)というものは、モデルと描き手の「セッション」なのだな、ということに気づいた。モデルからの身体的な表現、表情、その日のコンディションを、描き手はよくよく感じ取っている。そしてモデルも、描き手のテンションやムードを感じ取り、次のポーズへ活かす。まるでジャズのセッションのような時間が生まれる。ポーズは「つくる」ものではなく、自然と身体から「出てくる」ものなのだということを、初回ながら悟った。その場のグルーブに私の身体が反応する。そしてそこから生まれてくる動きの流れ、自分の感情を身一つで表現する。そこが、この美術モデルの醍醐味だ。

今でも、私は事前にポージングをガチガチに考えて臨むようなことはしない。当日会場に行き、描き手の印象やその場の空気感を吸ってみてはじめて、タイマーを押すその瞬間にポーズが生まれる。
だからこそ、私は会場に到着すると全身の感覚をフル稼働させ、全てを感じるようにしている。神は細部に宿るという。描き手の持ち物がちゃんと手入れされているか、開始10分前でみんなの準備がどれくらい整っているか、イーゼル(キャンバスを置く木の支え)で描くのか小さなクロッキー帳に描くのか、控室に置かれているもの、会場に足を踏み入れた時の呼吸のしやすさ、挨拶のトーンなどを毎回きちんと見て感じ取っている。全てはポージングにつながる。ポーズをする前から、すでにセッションは始まっているのだ。

回を重ねていくにつれ、今では会場責任者とのやりとりの中でなんとなく感じ取れるようになった。良い会場は最初の連絡から空気が違うし、その日が来る前からワクワクする。

次回の白像③は、モデルと描き手のセッションについてもう少し詳しく書いてみたいと思います。



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差詰レオニー
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