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「人生は死ぬまでの暇つぶし」がわかってきた気がする

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉をはじめて目にしたとき、「なんて受け身的で、消極的な考えをするんだ!!!」と思ってすぐにその本か何かを閉じた。腹立たしいと感じたのをよく覚えている。
まるで死を待ち望んでいるかのような、生をつまらないものだと諦めているような、そんなの、生に対する冒涜ではないか!と思ったのだ。

でもなぜか今になって、その言葉の意味がなんとなくわかるような気がしてきた。死を待ち望むほど人生に消極的になったという意味ではなく、むしろ人生に積極的になり、シラフでこの世を渡っていこうと決意を堅くすればするほど、「ああ、人生は死ぬまでの壮大な暇つぶしだなあ」と思うようになったのだ。

あらゆる「こうあるべき」から自分の頭を解放させ、まっさらになった状態で「さあ、わたしはこれからのなが〜いなが〜い人生をどう生きる?」と胸に手を当てて考えてみたとき、びっくりするくらい無限の生き方が思い浮かばれた。みんなが「成功」だと一般的に思うような暮らしぶりの生活をしている私、ふらふらと根なし草のまま生きている私、ちいさくても確かな生活をつみあげている私、さっさと家庭を持って子どもを産み育てる私。

本当にそんな生きかたができるか・したいかはさておき、どんな人生を過ごすかは案外無限なんだなあと思う。上がるも落ちるも選べる自由が私にはある。(そう思えるうちはまだまだ若いのかもしれない。が、根本的にはいくつになっても選ぶ自由はもっていると思う、人間は。)

現代人、とくに都会に生きる人々はまったくもって暇には見えないけれど、よくよく見てみると実に暇だ、私たちの人生は。「やらなければいけない」と思っていることのうち、生きるために「本当に今やらなければいけないこと」はどれくらいあるんだろう、と思う。おそらく5%もないだろう。残りの95%はしなくてもいいこと。つまり暇だ。

「今これからミーティングにでなければいけない」それはなぜ?「大事な企画が待っているから」それはなぜ?「会社でやる必要があるから」それはなぜ?「お金を稼がないといけないから」それはなぜ?「食費や光熱費を払わないといけない、ローンを払わないといけないから」それはなぜ?「生きる......ため???」

動物の勘みたいなのが鈍っていなくて、頭が冴えている人がみな食や身体などのテーマに行きつき、それを生業にしているのは至極真っ当な選択のように思える。「なぜ?」の疑問を繰り返した先に、それでも最低限やらないといけないことといえば、究極的には食べるか寝るかくらいしかないからだ。

ちょっと話がそれてきた。

で、私の暇つぶしを何にしようか。それを今色々みて試している最中だ。
書くことは続けるだろう。でも、どこで?どうやって?会社につとめる?それともフリー?劇もつくってみたい。脚本ってどうやってつくるんだ?俳優は素人だけど勘のいい友人たちを呼んで出てもらおうか。インタビュー記事をつくりたい。好きになる人も嫌いになる人も、全部ひっくるめていろんな人に会いに行きたい。お金をもらえなくても、最悪zineで出せばいいな。
星を読めるようになりたいな。星のバイオリズムを把握したい。あとは韓国語も。韓国の詩を理解しながら音読できるようになりたい。
なんにも決まってないけど、これからなんだって決めることができる。そのためには、頭をやわらかくしておかないといけない。

この前友達とそういう話になった。
「私たちはこれから失敗も成功もなんでもできるね、希望の塊だね」と。

そんなふうに、お金になる・ならないからの観点を一旦はずして、とりあえず私がしたいことをベースに、死ぬまでの人生に仮の色を塗っていくのが私のシラフでのこの世の乗り越え方なのだが、なかなか人に理解されない。みんなにはまず「仕事」があってお金があって、その上でやっとまわせる生活というものがあるらしい。私には最初に暇つぶし(というか魂が喜ぶこと)があって、その上に生活やら仕事やらがくるのだけど。それで生活できるかは微妙だけど。
ともかく、私にはやりたいことが多すぎて、他のことをやっている暇の方がない。「やらなければいけないこと」を最低限まで削ぎ落とさないとこれらをできない。
坂口恭平が言っていた言葉に「仕事は暇ならやれ」という好きな言葉があるのだが、私もそう思う。暇つぶしの一種として仕事をするくらいの感覚が多分身体にも1番いい。それか、暇つぶしそのものを仕事にするか。暇は仕事をしないと生み出せない、という発想はあまりにも貧相だ。

私が実現不可能に近いことを考えているのは重々承知だ。それをやろうと思って敗れていった何兆人ほどの先人と同じく、私だってうまく行かないかもしれない。
でもとりあえず、気の済むまではやってみようと思う。大きな流れを見ながら、ダメだったらその時にまた考える。

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