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目は大切(色々な意味で)

 中学校での最初の歴史の授業を今でも鮮明に覚えています。
 それは先生が線をかいて「これはなんだと思う?」のような対話形式の授業でした。
 さすが小学校とは違うなぁと思いながら、積極的な子はいろんなことを発言し、それらを板書していくという授業。
そして、先生が線を足していくことでピンときて
「歴史を学ぶのは、『目』を養うことでしょうか?」と思わず言ったのですが、先生にそれだ!と仰っていただきました。(結果的に先生がかいた文字は『目』だった。そしてその意味を考えてほしいという歴史最初の授業)。
 私は子供の頃から色々なことを考える(親にとっては不気味な)子供だったのですが、歴史を学ぶのは世界情勢やその時代の人々の考えを通じて今を見抜く目を養うことなのだと思いました(中1の春ですねぇ)。

 見抜く目を養うことは本当に大切で、本当に自分の為になることなのか、ただの道具のように扱われているだけで人間の尊厳をどう思われているのか、ブランド物が溢れる中で本当の本物とは何か(職人さんが命を削って創りあげる価値ある物に対して、引けを取らない自信と品性が自分にあるかどうか。ない場合にはミスマッチ。全然似合ってない方はそういうことです)。本当に価値あるものに関して、歴史はいろいろな事を伝えているのです。
 経済・社会、人間関係。恋愛関係、婚姻関係、親子関係、今では例えば仮想通貨に関して、…何関しても本質的に正しいこと(正しいことが全ての人を幸せにするわけではないことも歴史から学べますが)、どうすべきかという選択肢を考える目を養うこと。それらを学び潜在意識までに落とし込むことで直感というものが養えるのだと思っています。
 中学生くらいは勉強の(本当の)意味を見失う年頃ですよね。長い人生でどうやって生きていくかを自分で考え自分で選べる力をいかに身につけることができるか、それが教育だと思います。そのようなことを歴史の最初の授業で学んだことを何十年経った今も鮮明に覚えています。
 他人から与えられるだけでなく、その課題をきっかけに自問自答を繰り返していく中で自分の軸ができていくのだろうなと思いました。

目に関して上記とは別の視点の話はまた後ほど笑

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