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分離と文理

プロジェクトに参加しているとこれは分離の問題なのでは?と思うようになってきた。まず契約や業務範囲について会社対会社の場合は、意外とアバウトであったり、すごい急いでるからという理由で契約する前から作業するということがある。そこは信頼関係によるものでもあるが、アバウトになっていることは事実だ。そしていざ会社内部に目を向けると部署間の分離が激しく、基本的に指示されたことまたは部署における業務範囲を超えては絶対にやらないというようなことを感じることがある。これについては逆の方がいいのでは?と思うのだが。。。
社内における意匠、構造、設備などの分断を、社外の人がつなぐという状況になっているのだが、いったい何のために同じ会社にいるのかよくわからない気がする。予想外のエラーが出れば、社内でなんとか知恵を出し合って対処するのが自然なのでは?と思う今日この頃である。
前回の瑕疵とバグでは、責任や決定における分離について書いていたのだが、今回は私の仕事であるジオメトリーについて考えてみたいと思う。

CADと幾何学

ふと仕事していると、現代建築はもはやCADなしには建てることが出来ないのだなと感じる。CADが普及する前は手書きでの図面であり、書き終えた後の修正や、複写なども困難だったと聞く。相当大変だったことは想像に難くない。CADは航空機を設計することから始まり(設計情報の増加に対応するため)今日建築まですそ野を広げている。その証拠に、建築業界でもCATIARhinocerosSolidworksなどの今現在でもプロダクトで使われているCADが使われている。その後建築に特化したCADとしてRevitArchiCADGloobeなどのBIMソフトがあげられる。

CADソフトとは一体何なのかということだが、その根幹は計算可能な幾何学である。CADを使ってかたちを作る時、作成した形を移動したり、回転したり、削ったりするのだが、その裏側では幾何学的な計算が大量に行われている。普段CADを使用している人でさえその裏で何が起こっているかに関心を持つことは少ないが、CADで行われるあらゆる形状操作は、計算可能な幾何学によって支えられている。

1960~1970年頃までに2DCADにおける数学的な表現手法のほとんどは研究、開発されており、その技術は現在のCADでも使われている。私が得意とするRhinocerosもその根幹にはNURBSという数学的表現手法が使われており、それも70年頃までには考えられていたものだ。(もちろんBスプラインやベジェもだ)

分離

さて、それを踏まえ私の仕事について考えてみると、建築をひたすらに計算可能な幾何学に変換しているということになる。もっと簡潔に言えば建築をCADに転写する作業といってもいい。これは当然実感としてもある。あらゆるドローイングや言語、図面をもとに、とにかく数値に落とし込み、そのかたちを構成するルールを構築していくのだ。(これで作成したデータをジオメトリーと言っている)
CADがなければ建築は建てられない現代では、あらゆるところで建築はCADに転写されている。そこでは接続不可能な幾何学が無数に存在している。
この接続不可能性は、単なるソフトフェア間の互換性を意味しているのではなく、建築の情報があらゆるところで欠損し、情報を持った幾何学としての転写が上手く行われていないという問題だ。
これを解消するためにBIMという試みを日本では10年前からやっている。
これについては、自社内で設計施工を行う場合はRevitを使用して、一気通貫で作るということが可能だと思う。ただし要求が多様化し複雑化していく現代では、あらゆる専門分野が関わる以上、それに対応していくのは難易度が高くなるだろう。

文理

私は接続不可能な部分があってもいいと思っている。
一気通貫するということは、その形状の検討すらもあるフローの中に沿ってやらなければならず、さらにCADによっても制限されるとなると、窮屈に感じるだろう。そこにはある種の飛躍がなくなってしまうだろう。(ただしそうしなければならないほどに設計がまとめきれないという問題もある)
だから私は接続すべき位置で接続可能にしておけばいいと考えるし、実際可能だと思う。

だから、とにかく接続可能な幾何学にすればいいわけではないと感じている。では今起こっている問題は、なんなのか振り返ってみると、瑕疵とバグで書いたように、設計者はかたちの整合性に関する責任をとれないが、接続不可能な幾何学は審査を通りそのまま次の工程へと進む。そして建築可能な幾何学として作り直すが、それに対する決定権は持っておらず、調整の世界に入り、大量の出戻りが発生し、再検討に時間がかかる。それを経て整合性に関する責任を後で回収しているという状態だ。

要するに、責任と決定が分離し幾何学も分離しているそしてその位置が揃っていないということが最大の問題なのではないかということだ。そこを分離点と言ったらいいかわからないが、よりよいプロジェクトにしていくには、そこを意識していく必要があるだろうのだろうなと考えながら今日も仕事をしている。


P.S

今回は契約における分離を文系的なものとし、幾何学における分離を理系的なものとしたので、タイトルの通り分離と文理としてみた。AIやBIMがあればと、唱えたものは文系的な視点をおろそかにし、逆に契約に依存し丸投げを許したものは理系的な視点をおろそかにしてきたのが今のプロジェクトの姿なのだろう。



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