失敗した過去にもう一度戻れるのなら
全ての努力が、目に見える形で、自分にとってのいい結果として報われるわけではない
それが高校時代に学んだことだった。
私の青春は勉強だった。
部活に入ることはしなかった。
放課後、部活動の声が外から聞こえてくる教室で、勉強をするのが日課だった。
時折、窓の外を眺めては、それが羨ましくも思ったりもした。
それでも「受験」というものを意識したときに、部活をやる勇気は当時の私にはなかった。
もちろん、友達と遊んだりすることもあったし、いろんなことにも挑戦した。
短期で語学留学に行ったり、イベントの運営をしたり、科学の甲子園にも挑戦したり、会社経営の大会に参加したり。
少し特殊な高校時代なのかもしれないが、自分としてはいつも精一杯だった。
勉強を一番優先していた。
特に高校3年生になってからは、「何があっても遊ばない」ということを自分の約束事として、本当に1年間、学校か、塾か、家か、でしか生活をしなかったし、今まで行っていた友達とのご飯でさえも全部断っていた。コンビニへ行くことさも、ほとんどなかったと思う。
それくらいいつだって必死だった。
ずっと勉強をしていても、成績が思うように伸びなくて
悔しくて泣きながら勉強したときもあった
泣くことは多かったなぁ。
特に、夏を越えたくらいから、精神的に辛くなっていった。でも人前では泣かないようにしていた。受験生だからって人に当たるのはよくないことだと思っていたし、自分だけが苦しいわけではないし...本当のことを言うと、泣いてもいいよって言ってくれる人も、泣いてもいいって思える場所もなかった。
急に右手を動かすと激痛に襲われたり、呼吸器が痛くなったり、歯が痛くなったり。そんなときもあった。
最後の最後まで成績が伸びきらなかった私は、先生にも親にも諦められていた。
それは面談でも残念そうに言われたし、陰で言われていたのを知っていたから。
自分だけでもって思って、自分だけは信じないとって思って、必死に頑張ったけど、それでも本当に最後には自分でさえも信じられなくなっていたと思う。
ごめんな、あの時の私。
第一志望に落ちた。
受験に失敗した。
涙は出なかった。思ったよりも心は大丈夫だった。
後期試験に向けてもう一度また頑張らないといけなくなった。
不思議なもので、肩の荷が降りたのか、以前ほど勉強がしんどくはなくなっていた。
後期試験は合格して、無事大学生になることはできた。
卒業式の日、代表の生徒から祝辞が読まれた。
「私は部活を頑張って..........途中は全然結果が出なかったけど、最後は〇〇大会で優勝できました....」
「高校最後の文化祭、最初は全然人がまとまらなくって、それでも最後はみんな頑張って、〇〇賞をもらえました....」
「〇〇大学に合格して....」
もういいかな、帰っていいかな
いつだって人生で注目をされるのは成功した話。
いつだって人はすごい人たちにスポットライトを当てて、失敗の話には見向きもしない。
卒業式の祝辞なんて、まさに成功談しか求められてない。
部活とか、文化祭とか、大学合格とか、なんだとか。
きっとたくさん努力したと思う。それはすごいことなんだと思う。
それでも当時の私には「すごい」と言えなかった。
俯くことしかできなかった。
周りの生徒も親も先生も泣いている。
自分が場違いなのはわかっていた。涙は何も流れない。
ごめんね、私は不合格で。
部活なんて何もやらずに、そりゃあ、ときには遊んだりもしたけど、それでも私は私なりに自分に約束事もやって、泣きながらでも勉強をずっと続けてきた。
努力は必ず報われるとか。
継続は力なりとか。
全部が全部、目に見える形で報われるわけでも、力になるわけでもない。
私はその辛さを知っている。
大学に入って、そこでまたいろんな出会いがあって、今ではこの大学に入ってよかったなと思っている。
この大学に来たからこそ、できたことがあるし、自分の将来の道も、当時の私が想像していたよりも明確に、そして憧れるくらい素晴らしいものになっている。
でもね
例えばもしも自分の人生を変えることができるとして
もしもあの第一志望の大学に受かることができるのなら
そっちを選ぶ私も心のどこかにいると思う。
あの失敗があったから、今の私がいることは事実で
あの失敗があったから、様々な素晴らしいご縁があったのも事実
でもだからと言って、喜んでもう一度同じ失敗をあのときやりたい、って思っているわけではない。
失敗して良かった、というよりは、悔しいから、意地でも良いものにしてやる、っていう気持ちが強かった。
それがあったからこそ、大学に入った時も、また多くのことに挑戦したのだと思う。
私の努力は確かに、目に見える形では、自分の思っているようには報われなかったのかもしれないけれど、自分の思ってもいない形で、目に見えない形で、報われているのかもしれないのだと思っている。
あのときに戻れるのなら、同じ失敗をもう一度したいとは思わない。
でもあのときの失敗があったから良かった。
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