02.自分って何者か?①
おはようございます。
前回更新から、気づけば1年超が経過していました。
『気の向く限りに投稿していきます』と記しておいてよかった…
この1年、全然気が向かなかったようですね。
気が向かなかった訳ではなく、向けることが出来なかったというのが正しい表現でしょうか。
実は前回の投稿から数日後に、第一子となる息子が生まれました。
改めてnoteを始めようと思ったトリガーは複数ありますが、息子の成長とともに、少しずつ視野を広く保つ余裕が出来てきたことも、その1つです。
改めて『気の向く限りに』投稿していきます。
暇なときに覗いていただけたら幸いです。
前置きはこれくらいにして、ここからは表題の通り、
少し自分の人生を振り返っていこうと思います。
自己分析も兼ねたいので、かなり細かめに行っていこうと思いますので、長編シリーズになるかもしれません。
飛び飛びの投稿になるかもですが、宜しくお願い致します。
幼少期~小学生
1996年10月 大阪府東大阪市の“花園”という町で生まれました。
『花園ってなんか聞いたことあるな』と思っていただけた方がいらっしゃるかもしれません。
花園は、高校ラグビーの全国大会が行われる“花園ラグビー場”がある町です。
高校野球の甲子園、高校ラグビーの花園というようなイメージが分かりやすいかなと思います。
そんな町で、両親と4つ上の姉、そして母方の祖父母と、二世帯で一緒に暮らしていました。
私の人格形成の根本の根本に影響を与えた人物がこの中にいます。
それが祖父です。
祖父は訳あって、早くから“専業主夫”(その時代にしてはかなり珍しいですが)であり、他の方々は全員働きに出ていましたので、私の幼少期の殆どの時間は祖父と過ごしたといっても過言ではないと思います。
息子を持った今、感じることですが、祖父母→孫への愛情ってすごい。
可愛くて仕方ないんだろうなと、ひしひしと感じております。
恐らく、私の幼少期も同様だったのでしょう。
ひたすらに祖父母に甘やかされた記憶があります。
むしろ怒られた記憶が冗談抜きにありません。
だから私の幼少期は『甘えたで泣き虫』この言い回しが適切であるような、そんな子供でした。
一方で甘やかされた代わり(?)に得たものも沢山あります。
祖父は上述の通り“専業主夫”でしたので、私に時間を沢山つぎ込んでくれたのでしょう。本当に色々なところへ連れて行ってくれました。
公園、プラネタリウム、恐竜の化石の展示…(殆どが花園ラグビー場に併設の“ドリーム21”という施設ですね)
そこで得たのが“並大抵ならぬ興味関心”です。
様々なことに対して『なぜ?』というような子供だった気がします。
ニュートンがリンゴが樹から落ちる様子を見て、万有引力の法則を見つけた時のエピソードのように、何でもかんでも『なんでこうなってるんだろう?』と疑問に思っては祖父に聞くような子供でしたね。
この能力は社会人、そして経営者の見習いとなった今、当時培うことが出来て本当に良かったと思えるような強みとなっています。
経営者は、『世の中の流れを敏感に察知し、次にどんな時代が来るのかを鮮明にイメージしながら、前もって未来へ舵を切る』ことが求められます。
そのためには全ての事象への興味関心が必須だと思います。
それを培わせてくれた祖父には感謝しかありません。
祖父にフォーカスを当てた記事になってしまいましたが、実際、祖父なしには語れないような幼少期でした。
当然、祖父だけでなく、両親をはじめ、これまでの私に関わってくださった皆様との1秒1秒が人格形成の根幹になっておりますので、すべての皆様・事象に感謝しております。
次は小学生時代ですかね。
今日は時間が作れそうなので、可能であれば連投したいと思います。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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