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【随想】趣味と仕事

幼少から技術者の親父の背中を見て育ち、自分も将来技術者になるんだ、とそれ以外の未来を想像だにせず小中高と育ってきたぼくの話。

小学時代の「科学と学習」「子供の科学」を足掛かりに「初歩のラジオ」「無線と実験」「トラ技」のハード系、「ベーマガ」「I/O」「ASCII」のソフト系を通りつつ、自転車、バイクでメカを学ぶ。日本橋ではデジットに入り浸る一方、八幡では解体部品を漁り、鉄工所にバイトの形で潜り込んで旋盤フライス溶接を覚え仲間の単車に解体車ベースの素人チューンで挑む日々。大学も工学系に進み、好きに遊んでいました。

一方小さい頃から鍵盤を習っていた事もあり音楽も大好きに。高校時代から始めたベースは大学時代には割と弾ける様になり、色々な経験を積む機会に恵まれた事でこちらも好きに遊べる様になっていました。

この頃からです。こんな遊びをしていると近い土俵で職業として活動されている方々との接点が増えてくるんですよね。また趣味としてその道を極めている方々とも。

これはぼくにとって大変幸運な機会でした。どんな世界もそうですが、例えば旧車レストアやエンジンチューンの世界には、趣味だからこそ突き抜けた人がいます。特定の車種に自身の半生を掛け付き合っている人の車両は、所謂レストア車とは違うオーラを纏っているんですね。一方で一流のプロが手掛けた車両やエンジンには顧客と同時に決断が見える。

「技術」を誰に向けて活かすのか、そして区切りを付けるのか。

この二つが仕事と趣味との違いだと、遊びを通じて二十歳そこそこの小僧に伝えてくれた諸先輩方があってこそ、今の自分がある様に思います。

結局大学を出てぼくが進んだ道は

「世界一の機械を生み出す」
「その世界で一流の技術者になる」
「特許件数で親父を越える」

これらを果たす事が出来る道を歩んできました。なんて事はない、子供の頃からの夢そのまんま。色んなご縁と機会に恵まれた事でぼくの夢は今も叶い続けていますが、決してずっと同じ事をし続けている訳はないんですよね。
機械設計や要素開発、大学との共同研究、新製品企画にマーケティング、そして海外顧客との共同開発にロードマップ策定と歳を重ねるにつれその仕事は変わり続けてる。だけどやはりこれは仕事なんです。

顧客あっての仕事だからこそ「区切り」が大事。そんな中プロジェクト毎に確実なアウトプットを出し続けつつ自身の立ち位置も変化し続ける。だから楽しくもあり生き甲斐にもなるんですけれど、「仕事が趣味」とはなり得ないんです。

一方、自分自身の行動欲を満たす為に際限なく時間もお小遣いも投資して突き進める。そして損得関係なく自分に出来る事で自分が楽しむ。またそこに魅力を感じてくれる人が居れば出来ることを提供し、互いに楽しむ。そんな時間をぼくは「趣味」として過ごし仕事とのバランスを取る事で、どちらも楽しんできたなぁと改めて思います。

幸運な事にぼくの顧客は欧米がメイン、その為英語アレルギーが仕事を通じて軽くなり 、世界が身近に感じられる様になったことも趣味に大きく活かす事が出来る様に。外から見るとこの国の情報の脆弱さ、理由不明な秘密主義と情弱をカモにする商売の氾濫が趣味の豊かさを阻害する根源になっている事も気付けてしまいます。そしてまたこの国くらいです、情報の上澄みを掬っただけで「趣味」と称する国は。自分の視点(angle)を持たない時点でbeginnerもしくはnoviceです。その自覚もなく

「レジンでCreema始めよっと」
「ギターオーダー承ります」
「格安で調整します」

って話をここやSNSで目にしますがほんと軽い、恐ろしくてぼくそんなこととても言えません。

お皿やコースター、テーブルを販売するとしてその素材や塗料が食品に触れて良い素材か国内食品衛生法の最新の法令を遵守出来ていますか?またあなた自身が容器製造業としてGMP届けていますか?

客が来てくれるライブで楽器トラブルで音出なかった時責任取れますか?

前者は特に食品に関する法律違反、高額な賠償訴訟されても文句言えないですよ。

仕事っていうのはそういうものです。

ぼくいつも何かを作ってる。なのでよく「趣味が仕事で羨ましい」と言われるんですが、こう声を掛ける人によくこう問うんです。

「あなたの趣味はなんですか?そしてぼくの趣味はなんだと思います?」

そして友人でもない人からギターを作って欲しいと聞かれたらこう答えています。

「まだ「楽器」を作れる水準に達していません」

自分が求める「楽器」に達してないから、人から金銭の対価を得て作る事なんてできないんですね。

だから趣味だしDIY、なんです。あしからず。

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