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少子化と人工子宮

 少子化の原因を婚姻数の減少だと結論する者がいる。では人口子宮が完成して少母化が一挙に解消されたら子供は増えるのだろうか。
 いや、母体を必要としない独立型の人工子宮が完成しても少子化は進む。少子化の原因は婚姻数の減少ではないからだ。人々が養育負担を回避する故に子供は減少している。

 確かに人工子宮があれば、男は女への求愛行動のコストを払わずに済むし、女は妊娠出産のリスクを負わずに生活できる。何より、男女ともに配偶者を得られなくとも子を持つ機会を持てる。
 しかし養育にかかる金額、時間、労力は莫大だ。現代の、そしてこれからの若者達は進んで負担しようとは思わないだろう。

 少子化の根本理由は三つある。一つ目は、栄養状態と衛生の改善で子供の死亡率が激減し、多産をする必要がなくなったため。
 次に女性の教育とキャリア労働への参加が普及したので、妊娠機会を局限できたため。
 最後は、社会の高度化で仕事が専門化し、数より質が求められた結果、少数精鋭的に教育投資した方が理に適うためだ。

 まず、子供が死ななくなると少子化が進む。直観に反するが、多くのデータを見ると明らかだ。考えてみれば、アフリカやアジアなどの貧困国、あるいはかつて貧しかった日本が子沢山である一方で、現代の先進国は軒並み子供が少ない。スティーブン・ピンカーは著書の中で以下のように述べている。
「子どもの死亡率が低下すると、人は以前ほど多くの子どもを望まなくなる。家族が減ってしまわないようにリスクヘッジをとる必要がなくなるからだ。アメリカでは一時、子どもの命を救うことは『人口爆発』(ポール・エーリックの著書のタイトル。第七章に説明がある)に火をつけるだけではないかという懸念が高まった(一九六〇~一九七〇年代に見られた環境大パニックで、発展途上国の保健活動レベルを下げろという声まで上がった)。だが実際には、乳幼児死亡率の低下によって人口爆発から信管が取り除かれたのだった。」〈※1〉

 第二に、女性教育とキャリア労働への参加が普及すると、単純にその期間妊娠する機会が減る。妊娠しながら勉強をしたりキャリアを積んだりするのは困難だからだ。また心情的にも、教育を受けた人は子供にも教育を授けたいと思うので、避妊をして貧乏子沢山にならないように調整する。数年前ベストセラーとなった『ファクトフルネス』では、教育と出産数の減少の相関について語られている。
「女性も男性も教育を受けるようになると、子供には貧しい思いをさせたくない、もっと良い教育を受けさせたいと考えるようになる。手っ取り早いのは、子供の数を減らすことだ。そして、避妊具という文明の利器のおかげで、性交渉の数を減らさずに、子供の数を抑えられるようになった。」〈※2〉
 また女性の社会進出によって男女の賃金格差がなくなると、子供を産み育てることだけに女性を縛るより、賃労働してもらった方が利益率が高いと親、夫、そして本人も感じるようになる。

 最後に、現代の親は多産より少数精鋭の子育てを望むようになった。歴史を見ると、近代になって教育制度を政府が制定しても、当初は農民からの反対が根強かった。農業に読み書きは必要ないし、学校に子供が行ってしまうと労働力がその期間減ってしまう。農業に限らず、黎明期の製造業はとにかく人手が必要で児童労働を必要とした。
 だが製造業が高度化すると、単純作業は機械がこなすようになり、資本家は読み書き計算ができる労働者を求め始めた。またトラクターのような機械製品を販売するために、農家へマンパワーに頼るやり方を辞めさせる動機もあった。「農家の皆さん。子供を学校に行かせてあげて、新しい産業で働けるようにさせましょう。人不足になるならトラクターを買ってください。元はすぐ取れます」と産業革命の寵児たる資本家は唱えたのだ。
 教育を受けた子供が大人になると農業に従事するより多くの金を稼ぐようになった。親も生活が豊かになった。この現象は先進国では昔に起き、途上国では最近の出来事だ。そしてやはり出生率は下がった。オデッド・ガローの下記の引用を要約すると、つまり子供を働かせるより教育させた方が後々得になるという社会になったというわけだ。
「教育を受けた人だけが手の届く経済機会が生まれたことで、親は収入のより多くを子どもの教育に投資するようになった。こうして所得効果が出生率を上昇させ得る度合いは、減殺された。というわけで、所得効果を圧倒し、出生率を低下させたのは結局、子どもに対して親が行う投資の利益率の上昇だったのだ。」〈※3〉
 そして子沢山の家庭は教育投資を多くできないため損をし、結果的に貧しくなる。人々は教育投資を十分に与えられる数だけ子供を作るようになったのだ。

 以上が少子化の根本理由である。歴史と言っても差し支えない。現代の日本人の若者が子供を作らないのは、これらの歴史によって生まれた社会制度、心理状況による。
 根本理由を見るとどれも人類の素晴らしい進歩の輝かしい証明だ。栄養状態が良くなり町の上下水道が整備されて子供が死ななくなったのも、女性の教育と社会進出が普及したのも、児童労働が斜陽になり教育投資が隆盛したのも、全て素晴らしいことだ。そして結果である少子化も、地球環境を考慮すれば善なる現象だ。

 しかし現代の日本人は、少子化の問題と対面すると非常に辛気臭い顔をする。激昂する者さえいる。
 参考になるのは反出生主義者だ。彼らは自己の不遇な人生、特に家庭にいた頃を恨んでいる。十分に教育投資を受けられなかった、貧乏だった、そういう経験を持っている。だから貧困層が子供をもうけると呪詛の言葉を吐く。
 今や、教育投資に含まれる項目には際限がない。かつては義務教育へ行かせれば十分と見做されたが、高校、大学は当たり前と言う者も出てきた。大学も名門でないと済まないとなり、学習塾や予備校へ通わせる財力を当然のように産んだ者へ求める。勉強だけでは飽き足らず、文化的資本を涵養させる習い事、さらには歯の矯正やあまつさえ美容整形の費用まで親の義務の範疇だと宣う者まで現れている。

 人の満足には際限がない。最低限でいいと思っていても、最低限が普通になるともっと上を望む。子供に対する教育投資も同じ宿命を持っている。
 日本の少子化の近接理由は、子供を養育する金がないからだ。なにしろ、子供を養育する金は永遠に上昇し続けるから、誰も満足に負担できない。

 人口子宮が完成し、男女ともに煩雑でお金も労力もかかる求愛過程を省略できるようになったとしても、暴騰し続ける教育投資のコストを突き付けられたら誰も使用しないだろう。
 少子化の原因を婚姻数の減少で説明する人もいるが、順序が逆である。子供を育てるほどの金(無限膨張するから)がない。だから子供を作る気がない。子供を作らないのに夫婦になる意味がないので、無理して大変な求愛行為をしない。結果として婚姻数は増えないのだ。

 最後に、人口子宮の希望の側面に触れる。もし教育コストに物怖じせずに多くの人々が人口子宮を利用した場合、性淘汰圧が人類社会からなくなっていく。
 異性獲得のために努力する必要がなくなり、性的動機で行われていた様々な営為が消滅する。異性にモテるためにしていた勉強、スポーツ、仕事、ファッション、美容、社会的地位を高める為のあらゆる行為は時代遅れになる。性欲を失った動物は通常絶滅するが、人類は新皮質を巨大化させているため、意外と精力的に人口子宮で遺伝子を残し続けるかもしれない。

〈※1〉『21世紀の啓蒙 上 -理性、科学、ヒューマニズム、進歩』スティーブン・ピンカー 訳 橘 明美+坂田雪子 草思社 2019年12月23日 第2刷発行 P118
〈※2〉『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド 訳 上杉周作 関美和 日経BP 2019年1月11日 kindle版 1218/5239
〈※3〉『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』オデッド・ガロー 監訳 柴田裕之 訳 森内薫 NHK出版 2022年9月30日 第一刷発行P109

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