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博物館へ行こう#3「トキワ荘通り」

レンタル学芸員のはくらくです(レンタル学芸員という活動のごあんないはこちらから読むことができます)。今回の記事は、位置づけとしては「トキワ荘マンガミュージアム」探訪記の続編のつもりで書いております。お読みいただく方は、下記の記事もあわせてどうぞ!

今回来訪した場所

名称:トキワ荘通り
区別:フィールドミュージアム・その他(歴史・文学・美術)
住所:〒171-0052 東京都豊島区南長崎
アクセス:都営大江戸線「落合南長崎駅」A2出口より徒歩5分
参考ウェブサイト:https://www.toshima-mirai.jp/tokiwaso/

現役学芸員からみたまちづくり

今回の記事は、いわゆる博物館の紹介記事ではありません。どちらかというと、まちづくりや地域の歴史資源をいかに活用しているかということを学芸員の視点からみてみようという記事です。キーワードは、「地域まるごと博物館と拠点施設」と「地域文化の資源化」です。

トキワ荘の紹介と展示を兼ね備えた「お休み処」

豊島区トキワ荘通りお休み処

ミュージアムの方にご案内いただいたこちらの「お休み処」。実はミュージアムに行く途中に通った商店街のなかにありました。もともとは吉津屋米店という米屋さんだったそうです。昭和元年に建築された建物を改装したとのこと。となると、すでに50年以上は経過していますから、もともとの登録有形文化財になってもおかしくない建造物だったわけですね。

1階は交流スペースといった感じで、来た方がコメントをしていくノートやトキワ荘に関するインフォメーションコーナーになっていました。また、トキワ荘の関連グッズの販売も行われていました。

ご案内の方に「2階には漫画家さんのお部屋を再現していますよ!」という言葉にひかれて2階へ。

寺田ヒロオさんの部屋を再現

寺田ヒロオさんという漫画家さんの部屋が再現されていました。三ツ矢やタカラ焼酎のびんが渋いです。1階にいらした女性の方が、概要を説明してくださいました。寺田さんに関する資料のほかに、近くにあったエデンという喫茶店に関する資料とその紹介もありました。編集者と漫画家とが打ち合わせをするのに使っていたため、一種のサロンのようになっていたそうです。残念ながら2002年に閉店してしまったとのこと。

マンガミュージアムは再現をした建造物ですから、古い雰囲気はあれども建物としては新しいものでしたが、お休み処は、階段の配置やうなぎの寝床上の土地利用など、昔の建物の雰囲気が残っていたように思います。

ここでは「現代のトキワ荘」があることも教えていただきました。豊島区では、プロの漫画家を目指す方を支援する「紫雲荘活用プロジェクト」という事業も行っているそうです。紫雲荘は赤塚不二夫さんがトキワ荘と並行して借りていたアパートで、なんと現存しているそうです。そのアパートに住みながら漫画家を目指す方を支援する目的で行われており、なんと家賃の半額を支援しているそうです。面白い取り組みですね。

ミュージアムもお休み処も、公益財団法人としま未来文化財団という第3セクターが指定管理者として運営をしているようです。同じ通りのなかには、「トキワ荘マンガステーション」という施設もあります。トキワ荘ゆかりの漫画家さんの本が並んでおり、手にとって読むことができます。

トキワ荘マンガステーション

最初はミュージアムだけ行って帰るつもりが、だんだん楽しくなって「トキワ荘のあった場所に行きたい!」となり、聖地巡礼してまいりました。

トキワ荘跡地のモニュメント

現在は印刷業者さんの敷地になっています。商店街から一本入った路地に跡地のモニュメントがありました。

地域まるごと博物館

ここまでご紹介してきた通り、この南長崎地区では、トキワ荘を中心に様々な事業が展開されています。マンガミュージアムだけで完結するのではなく、来館者の方が地域を歩いて回ることのできるような設計がなされているように思います。

トキワ荘通りお休み処の案内看板

また、メインのコンテンツはトキワ荘なのですが、随所に地域の歴史の紹介が散りばめられています。トキワ荘と同時代のことを中心に、トキワ荘とそこの集った漫画家たちにスポットを当てながら、トキワ荘や作家たちの暮らしの舞台となった歴史や建造物などにも、淡くさりげなく光を当てている。そんなイメージです。

マンガミュージアム以外にもお休み処やマンガステーションなど、小さな関連施設が点在しています(実はこの記事を書いている今、トキワ荘通り昭和レトロ館なる施設もあったことに気が付きました……そのうちリベンジします)。

これらの拠点となる施設が、地域に残されたトキワ荘に関する場所やモニュメント、そしてトキワ荘の背景となった地区の歴史文化を非常にうまく伝えていると思いました。その意味では、マンガミュージアムは館だけで完結しておらず、ほかの拠点施設とのネットワーク、そして、地区に残されたものも含めて、地区全体でひとつの博物館のように機能しているといえるのではないでしょうか。

このような手法は「地域まるごと博物館」や「エコミュージアム」と呼ばれることがあります。わたしが知っている事例では、神奈川県の茅ヶ崎市(ちがさき丸ごとふるさと発見博物館)の取り組みがあります。現在、ユネスコのプログラムとなっているジオパークの日本版で展開されている活動の多くも、エコミュージアムな発想だと思います。

いわゆる、地域自体を博物館に見立てる発想においては、資料の保存や展示も現地において行われています。また、博物館では収集困難なもの――たとえば建造物や無形の文化遺産も展示の対象とすることができます。

有形のモノや無形のコトにとって、このやり方は本来の文脈を保ったまま、保存と活用ができる良い方法なのではないかと思います。博物館で収集される有形・無形の文化遺産は、もともと持っていた文脈ごと保存することは困難です。たとえば、身近な生活の道具であれば博物館の資料になった時点で、実際の生活の現場からは切り離されてしまいます。学芸員はそのモノが置かれていた背景も同時に保存すべく、来歴を聞き取り記録していきますが、それにも限界があるはずです。無形の文化遺産に関しては、そもそもそれ自体を収集することができません。写真や映像による記録など、二次的な資料を収集せざるを得ないでしょう。

その点、地域において文化遺産を守り、伝えていく取り組みにおいては、博物館に収集される資料よりも、比較的もともとその資料が置かれていた文脈を保つことができると思います。

地域の文化の資源化

このような取り組みを行う地域において、博物館はどんな役割を果たしているのでしょうか。もちろん、地域における展示(見どころ)を伝える施設という面もあるでしょうが、わたし自身は、地域の様々な文化を資源化していくことにあると思います。

トキワ荘にしろ、その歴史にしろ、それに関する情報が整理されていて、はじめて展示の対象として活用することができます。地域においては、保存や活用(たとえば、観光客のためのサービスを提供すること)はできるかもしれません。しかし、その情報を整理し、蓄積していくことは容易ではありません。博物館は、地域にある有形・無形の文化の情報を蓄積し、それを提供することで地域における保存や活用を支援することができるでしょう。

この情報の蓄積と整理には、調査研究を欠くことができません。それを行っていくためには、中長期的にこれらの仕事にかかわっていく人が必要だと思います。

まとまらないまとめ

あいかわらずまとめにならぬまとめになってしまいましたが、このトキワ荘を中心としたプロジェクトは、博物館論として非常に面白い取り組みだと、わたしは思います。池袋から少し足を延ばせば行くことができますので、みなさんもぜひ行ってみてはいかがでしょうか。