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全国模試偏差値38から大阪大学へ 高校中退後、一浪して大学受験した話

まず、この記事を開いていただきありがとうございます。
高校生の方や、受験生の親御さんなどに少しでも役に立つ話ができればと重い、この記事を書くことを決めました。この記事では、高校入学後から大阪大学合格までについて書いています。(今回はあくまで経歴について書いています。時期ごとに使っていた参考書などについては、後日記事を公開します。)

現役時の受験結果
前期:一橋大学SDS学部(共通テスト650/900で足切り)
後期:横浜国立大学経済学部(10点差落ち)


浪人時の受験結果
前期:大阪大学基礎工学部情報科学科合格

慶應義塾大学理工学部合格
早稲田大学創造理工学部合格
早稲田大学人間科学部合格(数学選抜)
明治大学理工学部合格




高校入学から高校2年夏まで

自分は、小中高一貫校に中学校から入りました。現在の学校の偏差値は、中学が52,高校が62となっています。
高校入学時に運よく特進クラスに入ったのですが、高校一年時にわざわざ大学に行く意味や、一生懸命高校の勉強をすることに意味を見出せなくなりました。それ以降は、学校へ行くのも面倒になり、かなり休んでいました。両親は、学校を休むことをよく思っていなかったので、制服を着て学校にいくふりをし、最寄りのカフェなどに行っていました。その時期に何をしていたかというと、動画編集の仕事をしていました。登録者数100万人のYouTuberや様々な企業のpv動画の作成に携わったりしていました。動画編集を始めた理由は、ただお金を稼ぎたいという気持ちしかありませんでしたが、いつの間にかのめり込み、高校2年の夏まで続けました。

高校2年夏から高校3年春まで

高校2年進級時に、特進クラスから下のクラスに入りました。高校1年時と同じく、ほとんど学校には行っていなかったのですが、受験が必須だったため駿台全国模試を受けました。偏差値は38でした。高校進級時には、学力にかなりの差があっただろう数人の友人よりも低い偏差値でした。彼らは、とても高い目標を持ち高校1年の時からその目標を宣言していました。彼らに負けたくないという気持ちが、自分を受験勉強に方向転換させました。また、同じくらいの時期に駿台予備校の英語の名物講師が講演会に来たり、東大生の受験相談会などがあったりして、どうせなら東大を目指そうという気持ちになりました。学問に目覚めたとか、いい会社に行きたいとかそういう理由ではなく、ただ当時の友人に負けたくないということだけが最初のきっかけでした。またそれと同時に、高校3年から特進クラスに戻ることを短期的な目標としていました。毎日最低6時間は勉強していました。その結果が出たのかわかりませんが、高校2年の第二回駿台全国模試では偏差値が53ほどまで上がりました。

高校3年春から現役の受験まで

結果から伝えると進級時に特進クラスに入ることはできませんでした。そのクラスに決まった日の担任との面談で、このクラスは東大などの難関大志望向けの対策はしないから、自分で勉強するように言われました。それなら、高校に在籍する意味がないと思い、その日のうちに中退することを決意しました。
中退後の1年間は自宅で勉強しました。朝5時に起きて24時に寝る生活をしていました。今思い返すと、精神的にかなりきつい時期でした。そんな時期の支えになったのは、母親と受験を志すきっかけとなった友人の存在でした。母親は、自宅からすぐのところに勤めていたため、お昼の時間にはいつも帰ってきて昼ごはんを作ってくれ、また喋り相手になってくれました。受験を志すきっかけになった友人は、中退してからも定期的に会う予定を立ててくれ、精神的に本当に助けられました。こんな感じで投げ出さず1年間勉強を続けましたが、望んでいたような結果は得られませんでした。一般で受けた大学は全て落ち、共通テスト利用で中央大学のみ合格しました。一橋大学のSDS学部に第一次選抜で落ちた時点で浪人を決めていたので、2月の中旬には自分の浪人生活が始まりました。

浪人生活スタートから入試終わりまで

浪人生活は東京で送りました。ですが、前期のうち(4月から8月)は一般的な駿台や河合といった予備校には入らず、有料自習室を契約し、数科目だけ現役生中心の塾を利用しました。そういう選択をした理由は、できる限り自習の時間をとりたかったためです。現役生の時に、多くの映像講義を受講していたので演習不足が現役時の敗因だと思っていたためです。現役生が中心の塾だったため、自分以外はほとんど制服で来ていて、文化祭や体育祭の話題が聞こえてきたりすることで、勉強しかしていない自分をとても惨めに思っていました。多分この経験が前期のうちから真面目に勉強できた理由の一つだと思います。というのは、浪人生専門の塾に行くと、当たり前ですが、周りには浪人生しかいないので、浪人したという現実を受け止めやすくなります。浪人しているということに対する劣等感を持ち続けられたのは、現役生中心の塾に通っていたからで、劣等感を持ち続けられたから最後まで逃げ出さず勉強を続けられました。現役時は一橋志望でしたが、浪人前期のうちは東大志望に戻りました。ですが、浪人の最初の模試でもかなり低いE判定だったので、夏の終わりに東工大志望に変え、それでも受かる見込みが低かったので結果として、大阪大学を受験しました。(共通テストで思いの他点数が高かったことも、大阪大学を志望校にした理由の一つです。)結果は17位でした。また、私大最難関の早稲田、慶應のどちらにも合格することができました。


最後に

今回は、簡単に自分の経歴についてまとめました。精神論や勉強法についてはほとんど書いていません。今後は、具体的な参考書や学習計画、モチベーションの維持する方法など、直接役立つ記事を書いていくのでぜひ読んでください!

最後まで読んでいただきありがとうございました。





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