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お寺での不思議体験 その1

閲覧注意‼️

今回は、軽めながら今まで経験した不思議なお話を書いてみました。
夜中に読むと、怖くて眠れなくなるかもしれないので、明るくなってから読むことをお勧めします。

それでは。

子供の頃から、見えないものが見えたり、聞こえたりしていました。

冬でもないのに、水の中に浸かっているみたいに体が冷えて、寒くて寒くていられない事があったり、

今でも覚えているのは、お盆でお墓参りに行った時、喉が乾いてどうしようもなくなって、いくら水を飲んでも収まらない事がありました。

今にして思えば、お盆の時期、地獄の釜の蓋が開いて、娑婆に出てきた無縁の方々が、御供養を受けられず彷徨っている時に、自分に頼ってきて、助けを求められたのだと思うのですが、

何しろその当時は、理由も全く分からなかったので、両親に理解がなかったら、精神科に入院させられていたかもしれない感じでした。

幸いにして、病院で診察してもらうことはなかったのですが、

それでも、日常的に変わった事はいろいろあって、困ることも多かったです。

普通に楽しく生きていきたいと思いながらも、生きにくさを感じていた自分は、幸いにして、仏様の教えにご縁を頂き、大学3年の時に出家させて頂くことが出来たことが、今の自分につながっているのですが、

お寺の生活の中でも、様々に不思議な事がありました。

お寺では二日おきに宿直があって、誰もいない広く大きなお寺の中、当然一人で泊まるのですが、

夕方5時に、勤めている同僚(といっても自分を含めて二人しかいなかったのですが)が帰ると、そこから1人になるので、
まずはだだっ広い本堂で、一人で夕方のお勤めをしていました。

皆さん、どこかお寺にお参りに行った時など、「ここはなんか明るくて、雰囲気がいいところ、居やすい所だなぁ」なんて感じた事はないでしょうか?。

反対に、「なんかここは暗くて、雰囲気が悪いから、早く帰りたい」と思うような経験はないですか?。

残念ながら、自分のいたお寺は後者で、
何故雰囲気が悪く、暗く寂しい感じかするかというと、
簡単に言えば、「お経があがってない」。つまり、お経を真剣にあげるお坊さんがいないから、そこに集まる亡くなられた人に供養が行き届いてないので、雰囲気が悪くなっているのです。

師匠となって下さった方は、そのお寺の住職ではありましたが、このお寺のすぐ目の前のお寺が自宅なので、毎日通ってきていたのでした。

高齢でもあったので、毎日通ってきてはいても、しっかりお勤めが出来るほどのお元気はなかったので、せめて自分が宿直の時は、しっかり御供養をしようと思い、おつとめをしてはいたのですが、

泊まりのたびに、誰もいないはずなのに、なんとなく人の気配がして、廊下を着物の裾を引きずるような音が聞こえたり、
甲冑を着た人が歩くような、「カチャッ、カチャッ、」という音がしている中、

内心、

「ヒィーーーーーーーーー‼️」

となりながらも、出来るだけ大声で、お経を真剣に唱えていました。

見えないものが見えたり、そこにいないものを感じたりする事は、本来は誰にもある事だそうです。

味に敏感で、スパイスや使っている野菜が何かすぐわかる人がいたり、匂いに敏感で、なんの匂いかすぐ分かったり、遠くの方までくっきり見える人がいたり、

それと同じように、見えないものを感じたり、聞こえたりする力に優れている人も、当然いるわけです。

当時は、怖かったり、面倒くさかったり、出来れば普通に、当たり前に生きたいと思いながらも、仏門に入ることにより、目に見えない世界が、さらに身近になった事で、自分の気持ちも次第に変わり始めました。

目に見えなくても、その場にいなくても、苦しかったり辛かったりして、いわば成仏出来ていない方々がいかに多いか、という現実を知って、

ならばお坊さんが真剣に御供養すればいい事なのですが、いかんせん、お坊さん自体、感じられる人と全く感じない人がいて、しかもお寺に生まれているから、葬式や御法事は、経済活動の一つと考えていて、心を込めてお見送りをしようと思い、お勤めをする人は、ごく少数でした。

そんな現実に触れていく中で、自分はせっかく見えたり聞こえたりするのだから、目に見えなくても頼ってきた人を一人でも多く、救う事が出来るようになりたいと考えるようになりました。

それから早いもので、出家して30年以上が経ち、やっとなんとか、喜んで頂けるようになってきたかな?といった感じですが、修行に終わりはなく、常にレベルアップを念頭においていかないと、頭打ちになってしまう事も経験しました。

次回は、頭打ちになった時の事をお話ししたいと思います。

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