匂い。

母が亡くなって、8年になる。

震災の次の年だった。

亡くなる前は10年近く、近くの病院に入院していた。

脳梗塞で倒れ、言葉が話せず、体も動かせなかったけれど、
病院に顔を出すと、「うぉー」という、母が出来る精一杯の声を出して、
迎えてくれた。


母は料理が上手で、いつも夕食が楽しみだった。

小学校から帰ると、台所に立つ母の側で、晩ご飯の支度を、知らず知らずのうちに手伝うようにもなった。

そばや、スパゲティなどの乾麺を茹でる時、時間を計らなくても、菜箸で、茹でる麺の固さを感じながら、

たまに2、3本茹で具合を見るために、箸で麺をつまみ、食べてみるのが、料理人になったみたいで楽しかった。

母は、煮物をよく作ってくれた。

とても美味しかったけれど、子供の頃は、魚より肉に、とてつもなく魅力を感じていたので

存在が地味な煮物がおかずの時は

キライではないけれど、どうしても不満に思っていた。

母が亡くなって8年。
倒れて入院して約10年。

母の料理を最後に食べた日から、おおよそ20年近く経ってしまった。

学生の頃は自炊もしていたので、母から教わった料理も、自分のアレンジを加えたりしながら作ることもあったけれど、考えてみれば、一度も煮物を作ったことはなかった。

母が倒れたばかりの頃、父と2人で家にいながら病院に行ったり来たりの毎日で、
病状が落ち着かず、先々のことを心配する毎日の中でふと、

煮物を作ってみようと思った。

野菜の皮を剥いたり、焦がさないように、煮物を煮ることはしていたけれど、最初から作ったことがなかったので、手順も何もなかったけれど、

その時は、とにかく勢いだけで作っていった。

里芋やにんじんの皮を剥き、鶏肉も適当な大きさに切り分け、干し椎茸を水で戻したりと、思いつくまま、とにかく作る事に集中していた。

子供の頃、美味しかったけれど、地味で目立たない煮物は、

作り始めたら、手間暇のかかるものだと初めて分かった。

鶏肉や野菜の下ごしらえが済んで、

さあ、これからいよいよ味をつけようと、醤油や砂糖、日本酒などを、火にかけた鍋の中に入れた瞬間、

立ち昇った香ばしい匂いの中から、

台所に母が戻ってきた。

子供の頃に、台所でよく嗅いでいた、甘くて香ばしい煮物の匂いとともに、

柔らかく煮えたにんじんを、つまみ食いしている自分を笑顔で見ていた

母が戻って来た。

思えば、身の回りには、たくさんの匂いが溢れているけれど、

匂いには、時間も空間も飛び越える力があることを、

その時 知った。

日曜日の夕方、天ぷらを揚げるのを手伝いながら、揚げたての天ぷらをつまみ食いした事や、

炊き立てのご飯の、立ちのぼる湯気の中、一生懸命しゃもじでかき回したことや、

祖母の家に遊びに行って、鰹節を削らせてもらった事や、

色々な思い出が、煮物の匂いとともに
一瞬にして、鮮やかに蘇って来た。



さて、初めて作った肝心の煮物。

今まで食べて来た、母の味にはほど遠かったけれど、

これまで食べて来た食事、

これまでに作ってもらった食事が、

自分を作り上げてくれたことを

知る事が出来た。



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