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台湾から与那国島が見える (日台相互に領土が見えるってなんか凄くないですか!)

はたして台湾から日本の与那国島が見えるのか? 2022年11月26日、それを確かめたくて亀山島の最高峰401高地の頂上に立った。

結論

・台湾から与那国島は見える。
・龜山島401高地の山頂でツアーガイドさんに質問し判明。
・当日の山頂は雲がかぶり、自分の目では確認できなかった。

ガイドさんに教えられた方角。
登ってくる時、下界は晴れていたのに、悔しい!

与那国から台湾が見える事は幅広く知られている

net上のなにかのコメントで与那国から台湾が見えることを知り大いに感動しました。

与那国島から見える台湾(年数回だそうです)※
蜃気楼のような現象で1時間半ぐらいで消えるそうです※
※ zalanと言うYouTube番組の中で、与那国と台湾原住民族の神話についての説明の中で言及。25分前後で画像がでてきます。中央研究院 民族學研究所 黃智慧博士 だそうです。


台湾から与那国は見えるのか?

では台湾から与那国が見えるのか?与那国から見ると、台湾は3000m超級の山々が連なる中央山脈のシルエットとなるはずだ。

一方、台湾から与那国を見る時、識別できる十分な大きさがあるかどうか分からない。よし確かめてみようとなったわけです。

龜山島

私が目論んだ地点は台湾東部宜蘭沖にある龜山島(グイサンダオ)の山頂。

ここからなら視界を遮るものはない。2019年11月30日、2020年6月6日と過去二回トライし異なる理由でいずれも401高地のてっぺんには立てなかった。最初のアクションから結論を得るまでに3年もかかってしまいました。しかし、日台相互に領土が見えることを知って、私は驚いたし感動しました。この時点ではまだツアーガイドさんの証言だけですが、以下裏付けが集まってきました。

島のことを何でも知っているガイドさん
ガイドさんと401高地登頂の仲間たち!

与那国と亀山島との位置関係

与那国島と台湾との距離約110km。
東京駅-富士山、名古屋駅-御嶽山、京都駅-姫路、能登半島の先っちょ-佐渡島、などとほぼ同じ距離。そりゃ確かに見えるわな。しかし、生活の中で国境を意識したことのない私にとって新鮮な驚き!
龜山島上陸チケット 100元
1番高い山の頂上401高地に立った

情報入手

この後、net上の知人から情報を頂きました。与那国島を撮影した画像がのった論文です。それで、少なくとも台湾花蓮立霧山1200m地点からは与那国島が見えることを知りました。つまり台湾の離島からだけでなく、台湾本島からも見えるという事です。

この画像は下記、海部陽介氏ほかの論文の中に掲載されています。

https://www.nature.com/articles/s41598-020-76831-7.epdf...

Palaoelithic voyage for invisible islands beyond the horiyone

Youske Kaif,Tien-Hsia Kuo,Yoshimi Kubota & Sen Jan
(この情報に触発されて、2023年1月23日に立霧山海抜約1000m地点まで行きましたが、あいにくの曇りで海側に行くのは断念。)

合わせて、水平線までの距離を計算するサイトも紹介いただきました。それを使って計算してみると、亀山島401高地からは与那国島の宇良部岳の上半分は見える可能性があるとわかりました。ツアーガイドさんのコメントを計算で裏付けられたと思っています。

下記のkeisanサイトの ROCKECCOさんのプログラムで計算しました。

追加情報   2023年2月14日

さらに詳しい情報をいただきました。与那国がくっきり映っています。自由時報と言う台湾のメディアが2023年2月12日に報じたもので、李さんと言う一般市民からの提供のようです。

自由時報 2023.2.12
(うーん、でも何か絵みたいに見えるなぁ。追加確認がいるかも。)

情報源は上記です。画像にある記事のリンクはこれです。
https://news.ltn.com.tw/news/life/breakingnews/4208716
(追記終わり)

私がお伝えしたかった情報は以上です。
引き続き情報が入れば、この文章はupdateしていきます。

以下ついでに

せっかく亀山島に行ってきたのだから、島の様子や歴史についてメモ書きを記しておきます。一つでも関心のある事があれば自ら訪問される事をお勧めします。ご参考になれば幸いです

狭き門、亀山島401高地

亀山島に渡るためには台湾当局の許可が必要です。許可には①上陸するだけ、②上陸して登山をする、の二種類があります。①の上陸は450人/日、②の上陸+登山は100人/日、というように人数制限があります。毎年3月-11月だけ上陸が認められます。人気があって難しいことの他に天候によるツアー中止のリスクもあります。休日に晴天に恵まれて山頂から海の彼方を眺めるというのは、かなり難しいわけです。

亀山島の歴史
(現地説明板拾い読み)

1820年に中国福建省の人たちが移り住みはじめ、1888年にカナダ人牧師が訪問したときは約300人の住民がいた。最盛期、1967年には150数戸759人の人たちが暮らしていた。島民たちは漁業で生計をたてるが、港の建設が難しく漁業を発展させることはできず、生活は大変だった。1974年には度重なる台風の来襲と大雨の継続で2週間補給が絶たれ食料がつきてしまった。これがきっかけとなり1977年にはすべての島民が台湾本島の頭城大溪里仁澤新村に集団移住した。同時に島は軍事管制区となった。2000年8月1日に観光に開放され現在に至るとのことです。

家々が密集していますね
綺麗な景観


島民生活の痕跡をたずねて
(現地説明板拾い読み)

【水】
夏は雨が少なく、冬には多いそうです。だから、山から降りてくる湧き水は安定していない。島民の生活を支えたのは島内唯一の寺の横にある冷泉だったそうです。ここにはいつも水があって、まさに命の泉だったそうです。

【家】
日治期には石造り、光復後にはコンクリートと石づくりとなり、1955年から鉄筋コンクリート造りとなった。当時のメインストリートの建築物は劣化して現在は廃村のような感じになっています。しかし、道は歩きやすく整備されています。

台風の時はお寺に避難したそうです

【信仰】
島に一箇所だけお寺があります。もともと拱蘭宮(ゴンランゴン)と呼ばれた。最初はお守り袋が信仰の対象だったが、人々が漁業を生業としているので媽祖像が設置された。島民移住の際には一緒に引っ越していった。軍の管制区となったあとは軍人たちが観世音菩薩をお祀りし普陀巖(プートーイエン)に改名されたそうです。

旅の安全を祈願して来ました。もちろんお布施も。

【小学校】
日治時代に日本語を教える國語講習所というのがあった。光復後の1949年に頭城國民小學校龜山分校となり、1950年には大溪國民學校龜山分校に改められ、1954年龜山國民小學校として独立した。1977年、住民の移住の時まで存続した。

【401高地歩道】
標高398mの頂上まですべて階段。1706段。全長1363m。よく整備され歩きやすいです。入口に木の杖が用意されています。頂上に3mの構造物があり標高401m地点に立つことができます。

皆カジュアルな服装。ハイキング!
地上はこんなに天気が良いのに!
11月ENDの標高400mでも半そで。台湾!


おわりに

晴れた日には頂上から与那国島が見えることと龜山島の歴史についてお伝えすることができていれば嬉しいです。登山コースは人数が少なく船も小さいです。島の独特の景観と相まって、たらいに乗って桃太郎が向かった鬼ヶ島を彷彿させてくれます。net上のどこかに誰かがそうコメントしていたのを覚えています。全く同感です。

いざ鬼ヶ島へ、いや、亀山島へ(2020年撮影)


朝9:00頃出航し15:00頃戻る。全行程6時間。登山は、登り60分、滞在15分、下り45分。素晴らしい旅でした。読んでいなくても、ここまでスクロールしてくれただけでも感謝します。

【ご参考情報】
亀山島上陸、登山の申請ホームページ
https://events.necoast-nsa.gov.tw/Coast/Application.aspx?a=2659
申請は候補日の20日前から可能。可否はおそらく早い者勝ちであり、抽選ではない。上陸許可は登録したメールアドレスに渡航の5ー7日前ぐらいに届く。島に渡る船は自分で手配する。旅行会社のツアーに参加しても良いし、船会社に直接申し込んでも良い。烏石漁港に13社の窓口が並んでいる。私は3回とも亀山朝日2號に申し込んだ。上陸せずに島をぐるりと回る、ホエールウォッチングコースもある。こちらは申請不要。

私は3回とも②亀山朝日2號を使った。
261宜蘭縣頭城鎮烏石港路168 號
ハートのマークの所に行けばカウンターがある。
蘭陽博物館のすぐ近く。

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