こころのお通じがよくなったところで

 坐禅とか瞑想なんてものは「こころの便秘」を解消させるための方便だと思うようになった。お通じがよくなったからって、宿便そのものはなくならない。通常、数日は体内に滞留して、消化・吸収・排泄される。

 たかが「お通じがよくなった」からって、大宇宙と直結したとか、神仏に通じるようになった、って、それは御冗談でしょう?
 試しに目の前のディスプレイに触れて、黄金にでも変えて見せてください——傲慢で強欲だったミダス王の受けた呪いのように——。

 できないわけですよ、宇宙の摂理に反したことは。
 神なら自らの造り出した摂理・法則すらも変更してしまえるかも知れないけれど、それはやらないわけですよ、必要でも生じないかぎり。

 我々は、たしかに大宇宙や神と繋がった存在ではあるのでしょう。
 万物がそうであるように。
 でも、全体のなかの要素であり、なおかつ、全体と緩やかに、段階を経て繋がっている局所的な存在であることは矛盾しない。

 結局、人として生まれてきたからには、人として活きればよい訳であって。

 『信ずる者は救われる』って、それは『教典・経典』をですか?
 それとも『神』御自身への帰依ですか?
 『教典・経典』のたぐいは「参考書」であって、正解がそのまま書いてあるわけではない。それは人の技によるものです。

 わたしは『神』御自身へと正対したい。
 だからといってできることは限られて、それでもできることをやるだけですよ。


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