「サヨナラ、人生の夏休み」 蓮の3分エッセイ
先月24歳になったばかりの10月、連休初日に大学の友人5人と鎌倉のソーセージ屋で落ち合った。
昼間からビールとソーセージで一杯やりながら、旧知の仲間とくだらない話をするのがどんなに幸せか、この頃はその価値に、まだ気づいていなかった。
「わたし、この前同窓会で再開した人と付き合ったんだよね」
亜美がみんなに新しくできた彼氏の話をしてくれた。
「やったな!おめでとう亜美!ビール奢るから馴れ初め全部話せ!」
哲也が自分ごとのように喜んでいる。2浪した哲也は大学1年の時から付き合っている梨花さんという美人な彼女がいる。でも、まだみんなに会わせてくれない。今は遠距離で頑張っているようだが、結婚に進むかどうか微妙らしい。
「哲也は早くうちらに梨花さん紹介しろよ」
麻衣が哲也を宥める(なだめる)ように言った。
「うるせえ、お前がベンチャー社長との不倫辞めたら紹介するわw」
「関係ねーから笑。お子様には、わたしの気持ちは分からないのよん」
麻衣は30代前半の関連会社の社長と不倫している。ぼくは「不倫」は悪だと思っていない。麻衣の不倫を知った時、止めなかったし、「そんなの誰でも通る道だ」と思っていた。
「ここの自家製チョリソーすごく美味しい!鎌倉来て正解だわぁ」
優奈が頬を赤くしながら幸せそうに頬張っている。ぼくは大学3年時、一度優奈に告白したことがある。「光輝と恋人になるなんて全然想像できない!男女の関係になったら、いつか必ず別れが来る。わたしはおじいちゃんおばあちゃんになっても定期的に5人で集まって、美味しいご飯を囲んで、楽しく過ごせる関係でいたいの」と優奈らしい言葉でフラれた。
「お前、食べてばっかだから、会わないうちに二重顎になってんぞ」
哲也がズケズケと優奈に言い放った。
「はぁ…やっぱり?太ったんよわたし!顔とお尻がヤバイ!!!」
「ヨガ続いてんの?」
ぼくは聞いた。優奈は学生時代にヨガを始めていた。
「最近行けてない。せっかくの休みの日にヨガ行くのって面倒くさくなっちゃうんだよねー。あ!でも今日ヨガするから!みんなで!」
「え、おれらもヨガやるの!?」
ぼくと哲也が揃って聞き返した。
「LINEでちゃんと言ってたじゃん。『夕方にサンセットヨガ予約したからね』って」
呆れ顔で亜美が言った。
「あー、おれビール4杯目よ。酔ってる状態でヨガなんて寝ちまうわ」
哲也はやる気なさそうだ。
「じゃぁ、あんたはその間うちらの荷物持ってて。光輝はするでしょ?サンセットヨガ」
ぼくはヨガに興味があった。学生時代に座禅にハマったことがきっかけで、ヨガを知ったからだ。
「やる」
「マジか光輝!?お前鎌倉のマダムのセクシーな姿見たいだけだろ。熟女キラーだもんなぁ」
「それも悪くないな。持ち帰られよっかなw」
「馬鹿じゃないのアンタら笑」
仕事で疲れが溜まっていたぼくは、みんなの顔を見て、学生時代の元気な頃に戻っていった。
「ほら、哲也行くよ!」
麻衣が哲也の背中をバシバシ叩いている。そろそろヨガの時間らしい。
「んー、おれそこのデニーズで休んでるから、お前ら行ってこいよ」
「酔っ払いが1人でファミレス入れるわけないやん。3人とも先行ってて、うち一旦こいつとデニーズ行くわ」
麻衣は哲也のお母さんのようだ。面倒見の良いしっかり屋さんなところも、モテる理由だろうな。
「わかったー」
あっさりと亜美が返事した。
優奈と亜美と3人で由比ヶ浜に向かった。講師の先生は小柄な40代の主婦さんで、小麦色の健康的な肌と大きな瞳に、オールバックのポニーテールがマッチしていた。集まった生徒さんは20人ほどで、自分たち以外は30代以上の女性。男は自分1人だった。
夕日が海に照り返し、波がキラキラと輝いていた。
「あぐらをかき、大地と繋がる感覚を味わって、背筋を大きく伸ばしましょう。はい、深呼吸…」
初心者用のポーズで構成されたレッスンだったが、ところどころバランスを取るのが難しく、ドテッと倒れてしまう生徒さんもいた。
初めてのヨガを夕日越しの海岸で体験し、心も身体もリフレッシュできた。
哲也も来るべきだったな。
最後のポーズは瞑想だった。座禅と同じ。自分の思考を空っぽにして、あるがままの「今」を感じる。
「ズズッ…」誰かの鼻を啜る音が聞こえた。ふと隣を向くと、優奈の頬に一筋の涙が伝っていく。
なにか心の詰まることがあったのか、原因はわからなかったが、ぼくは見なかったことにした。
「お疲れさまでしたぁ」
レッスンが終わり、生徒さんは散り散りになった。しばらくその場で立っていると先生がやってきた。
「ヨガ経験者かしら?すごく姿勢が綺麗でしたよ」
「座禅はしたことあるんですが、ヨガは今日が初めてです」
「そうでしたか!とてもセンス良いですよ。男性のヨギは希少価値高いので、是非また来てくださいね」
先生のくしゃりと笑った顔はなんの曇りもなく素敵だった。
「ありがとうございます」
「光輝、さっき、先生に口説かれてたでしょ。ほんと年上からモテるよね〜w」
「姿勢を褒められただけだよ」
「いや、あの顔は違うね。同じ女だから分かるもん、光輝のことオスとして見てたよあれはw」
亜美にニヤニヤしながらからかわれた。
ぼくたちはオレンジ色になった太陽を眺めながら、流木に並んで座った。
「心洗われたなぁ、ヨガできてよかった」
優奈が気持ち良さそうに言った。
「うん、よかった」
ぼくも本心でそう思った。さっき優奈の頬を伝った涙は、きっと良い涙だったんだ。
「砂浜で観る夕日って、最高だね、毎日見たい〜」
亜美は両腕を上げて伸びをした。
「おーい!ロマンチストども〜!待たせたなぁ!」
由比ヶ浜の階段付近から哲也と麻衣が歩いてきた。
「あれ、うちらが今からデニーズ行く予定だったのに。酔っ払ってる大男を連れて来るなんて、麻衣かわいそうに。重かったでしょ?」
優奈が哲也に聞こえるように大きな声で言った。
「ケツ叩いて歩かせたから大丈夫」
「おい優奈、おれがビールで酔うわけねーだろ、そこのヨガ男とは違うわw」
「ヨガすごくよかったんだよ、あんたが酔ってなければ麻衣もできたんだからね、少しは麻衣に感謝しなさいよー」
また賑やかになってきた。
「感謝されるのはこっちだっての。なぁ、麻衣ぃ〜」
哲也がニヤニヤ笑っている。
「はい、9月生まれの二人、ちょっと遅れたけど誕生日おめでとう」
麻衣は哲也の後ろに手を伸ばすと、そこから白い箱を取り出した。『Pâtisserie aux pigeons(鳩のケーキ屋さん)』と書いてある。
「サプライズ大成功〜!!みんなでケーキ食べよっ」亜美がニコニコ笑いながら優奈とぼくに言った。
「えーっ、まじで!?」
ぼくは驚きを隠せなかった。今まで友人にサプライズで誕生日を祝ってもらったことが無かったし、薄々気づいてしまうパターンもあったので、ここまで油断していた中でのお祝いがこんなに嬉しいものとは知らなかった。
「わ!ありがとう!そういうことだったのねぇ〜」
優奈も嬉しそうだったが、ぼくよりは少し落ち着いた驚き方だった。
「ケーキ屋が意外と遠くてさ、ヨガ間に合わなかったw、ちゃんと途中参加するつもりだったんだぜ?とりあえず、食べようや!」
麻衣が静かに箱を開けた。
中にはイチゴのホールケーキが入っていた。しっかりネームプレートに『Happy birthday to Yuna and Koki』と書かれている。嬉しい。
「っしゃぁ、蝋燭つけんぞ。2と4のやつ買った」
律儀に蝋燭まで用意してくれていた。
「えーいいよ、もう怖いもん年齢数えるの」
優奈が笑いながら拗ねる。
「早くアラサーの世界こいよお前ら、おれだけ寂しいんだぞ」
「哲也26歳でも、心は14歳だから良いよね。羨ましい…」
亜美がため息混じりにアラサーの哲也を冷やかした。
潮風が蝋燭の火を付けるのを邪魔した。哲也がライターで奮闘しているので、ぼくは風邪避け担当として手伝った。女たち3人は裸足で波に入って遊んでいる。流木の影に置いてなんとか火をつけようとしたその時、ビュォオーッと強い風が吹いた。
「あ!!火じゃなくて、砂がついちまったぁぁぁああッ!!!」
ケーキの右半分の側面に由比ヶ浜の砂が吹きついた。哲也が悔しそうな顔をしている。
「全然良いよ、こっち側はおれらが食べよ」
ぼくは砂など気にならなかった。それよりも嬉しい気持ちでいっぱいだった。
「そだな、アクセントの胡椒ってことで!笑」
「それいいなwスイカに塩みたい笑」
「できたー?」
3人が様子を見にきた。
「もう着かんから、写真撮ってみんなでほじくろうや」
「オッケー」
由比ヶ浜の胡椒が効いたイチゴと生クリームは間違いなくおいしかった。大好きな友人に祝ってもらえるって、こんなに幸せなことだったのか。気の合う仲間と過ごせる時間って、こんなに尊いことだったのか。
刹那的で快楽的な青春の日々がずっと続くはずはないのは分かっているが、本当は毎日こうやってお互いを思い合える仲間と共に楽しく過ごしたいと強く思った。
「…わたしはおじいちゃんおばあちゃんになっても定期的に5人で集まって、美味しいご飯を囲んで、楽しく過ごせる関係でいたいの」
優奈があの時言った言葉の意味がやっと分かった気がした。それは簡単にできそうで、実は非常に難しいことだ。
4年後
今日は哲也と梨花さんの結婚式だ。お腹と顔が太った哲也は幸せそうだ。梨花さんは相変わらずの美人で、最高の花嫁姿にその場のみんなが見惚れた。おめでとう哲也。覚悟を決めた男の姿はかっこいい。
コロナ禍で、なかなか5人で集まれなかったが、哲也の結婚式のおかげで久々にみんなに会えた。亜美のお腹が大きくなっていた。同窓会で出会った夫との子どもらしい。
哲也は新潟、亜美は福岡、麻衣はストックホルム、優奈は岐阜、ぼくは東京でそれぞれ頑張っている。
きっと、次の日の予定を気にせず、この5人と鎌倉でのんびり過ごせる日は、もう無いだろう。みんながどんどん遠くへ行ってしまい、自分だけ取り残されたようにも感じる。人生はいつまでもボヘミアンな気分にはさせてくれない。
哲也と梨花さんが入刀した真っ白なウェディングケーキは、由比ヶ浜で食べた時と同じ、イチゴと生クリームで作られていた。
人数分にカットされ、来場者に配られたケーキには、もうアクセントの胡椒は混じっていなかった。
完
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