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贈り手、受け手、双方に心の底からの「納得」を - #イケウチな人たち を読んで

#イケウチな人たち  が更新されましたね。

イケうちな人たち。 に登場される皆さん。ほぼ全ての皆さんが、この機会に初めめて出会う(実際にはお目にかかっていないけれど)人たちです。でも、毎回、めちゃくちゃ引き込まれます。

今回の赤澤えるさん。この機会が無ければ、出会うことは無かったと思います。多くの人たちから支持されるブランドのクリエイターの「心」の声のようなものが、すごくストレートに感じられました。

記事の真ん中辺り、「納得」という言葉が出てきます。ほんまそうやなあ、って感じました。「心」の底から「納得」できているか、それが自覚できている時って、確かに充実感が有りますね。お金を使ってそれと引き換えに手にしたモノ、コトなんかが、「うーん、買って良かった」という納得が深ければ深いほど、そこに豊かさも感じられて、それは赤澤さんのこの言葉には

人生における豊かさは、『納得感』の総量と同じ。すべてにおいて、納得感を持って、愛せるものや大事にできるものを増やしていきたいです

深く頷きました。いろんな場所で全然納得できないことも色々起きます。また、納得にも色々あると思います。

まあなんとか「これ”で”良かったんだ」という(ちょっぴり消去法的な)納得、

「これ”が”良かった!」という納得、

「これに出会いたかったんだ!」という心の底からの納得、

とか。

「全く何一つ納得できない」も含めて、全ての「納得感」が豊かさを決めている。そうかもしれません。そう考えると、自分自身の心の底からの「これに出会いたかったんだ!」という感覚は、すごーく大事なことだなあ、と。

一方で、つくり手、贈り主、クリエイター側に立つと、「受け手に心の底から”これに出会いたかった!”と納得してもらうには、一体、何ができるだろうか」ということになると思います。

赤澤さんはこんな問いを立てられていました。

「私が作りたい服は、いったい、どんなものなんだろう?」

それに対して、ご自身で導き出した答えはこうだったようです。

「服を大切にする人を増やしたい。心から大切だと思ってもらえるような、服を作りたい」。

大事なことは、多分、この答えに心の底から納得できているか、なのだろうって思いました。

何かを贈る側に立つとき、自分が贈りたいのは、いったい、どんな?

何かを受け取る側に立つとき、自分が受取りたいのは、いったい、どんな?

全ての物事にそんな細かく考えることはできないけれど、大事なこと、自分にとって大事なことについては、そこをしっかりと考えておかなきゃ、って気づかされました。

記事の最後に紹介されていた、赤澤さんの記事も読みました。

「世間」についてのお考え、とても興味深かったです。

「世間」 

私自身でもちょっと思うことがあって。

「株式投資って素晴らしい」「投資家の思想を若いうちに腹の底から納得しようよ」ってことを、より多くの人、一人でも多くの人、それすなわち「世間」に知ってもらいたい、気づいて欲しい、という気持ちが強くあります。

赤澤さんは上の記事でこんなことを書かれていました。

今の私には「世間」は大きすぎる主語に感じてしまいますが、「私たち」を大きすぎるとは思っていません。「私」だけだとできないことがたくさんあって、「世間」までいったら強すぎて身動きが取れなくなることがある気がする、その間のグラデーションにある「私たち」って、私には心地良い規模に感じられるのです。

ゆっくり、いそげ』が思い出されました。

だから「不特定多数」でもなく「特定少数」でもなく、「特定多数」。

「世間」 = 「不特定多数」

「特定少数」 = 「私」

「特定多数」 = 「私たち」

私の中ではこんな風に読み替えることができました。

そう考えると、本当に、ゆっくり、いそげ なんだろうな、って。

何だろう、一種の勢いのようなものが、仮に生まれて、ダダーッとスピードを持って広がる。そうなってしまうと、受け取る側の心の底からの納得を醸す時間が与えられないことが多くなる。だから、それを受け取っても豊かさを感じられない。一方、贈り手もそのスピードに感覚が麻痺してしまい、自分自身の贈り手としての納得に対して意識が回らなくなってしまう。

でも、「いそげ」ってこともありますよね。「特定少数」じゃ、しんどいわけで。ということで、勢いに任せることを選ぶこともあるでしょう。しかし、「いそげ」が度を越すと、しっぺ返しが来ると思うんです。で、そこからまたやり直しが始まる。

「ゆっくり」と「いそげ」のバランス。それを決めるのは、贈り手、受け手、双方にとって、心の底からの納得を醸せるかどうか、ってことなのだろう。

ってなことを感じました。

赤澤さんの立てられた問い

「私が作りたい服は、いったい、どんなものなんだろう?」

これを言い換えると、noteでどんな記事をつくるかを考えるのにも応用できます。

私が贈りたいコトは、いったい、どんなものなんだろう?

それをしっかりと受け取ってもらうには、納得してもらうには、
どんな記事をつくったら? 

のように。

この問いを前にすると、まだまだだな、って思います。

「株式投資って素晴らしい」「投資家の思想を若いうちに腹の底から納得しようよ」ってことを、より多くの人、一人でも多くの人に気づいて欲しい、別に「世間」じゃなくてもいいから、という贈り物に相応しい伝え方をもっと色々と考えて、試していかなきゃ、そう思いました。

イケウチな人たち。 の感想から、脱線しちゃったような気もしていますが。。。

イケウチな人たち。 次の更新が待ち遠しいです!


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