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社会をよくする投資入門(著・鎌田恭幸さん) に、 とても大切なことは、問いの持ち方だと気づかされました

#鎌倉投信  鎌田恭幸さんの13年ぶりの単著書籍、『社会をよくする投資入門 経済的リターンと社会的インパクトの両立』を頂戴しました。

5月27日に発売予定です。

写真の右側が13年前の鎌田さんの著書『外資金融では出会えなかった日本でいちばん投資したい会社』です。左側は、鎌倉投信さんが運営する投資信託「結い 2101」の初回の受益者総会(2010年7月)で配布された小冊子です。

「投資はまごころであり、金融はまごころの循環である」
これが、鎌倉投信の投資哲学です。
(略)
そして、「まごころの込もったお金には社会を変える力がある」と確信しているのです。

『外資系金融では出会えなかった日本でいちばん投資したい会社』はじめに

鎌倉投信の投資哲学には、こうした時代に、本物の価値を心眼で見定め、将来にわたってそうした価値を残し成長させるために心のこもったお金の循環を創るのが金融の使命であるという考え方が根底にあります。

第1回「結い 2101」受益者総会に向けて 直販型の公募投資信託だからできる個人参加型の金融像

この2つの作品から十数年経ちました。その過程で様々な出来事、環境の変化が起きてきましたが、上で述べられていた考え方、構えは何も変わっていないこと。それを今回の作品でもよく理解することができました。同時に、鎌倉投信さんの投資哲学と出会う人がもっとふえてほしい、そう思いました。

鎌倉投信さんの投資哲学に共感する人がふえてくれることも嬉しいことの一つですが、それ以上にこの本で実現してほしいことがあります。

鎌倉投信さんの投資哲学をきっかけに、次のような問いを立て自分で考えてみる、

  1. 投資で得られる成果、リターンの果実の源は、誰が、どこで、どうやって生み出しているのか

  2. 自分の投資、どうお金をつかったか、が未来を左右すると意識しているか

  3. 自分の投資先の事業に関心を寄せているか

  4. 投資する。その行為の責任、可能性を考えているか

  5. 投資を通じて関わっている会社の目指す未来は想像できているか、その解像度は

  6. 時には遠くから眺めてるか

  7. その未来は、あなた自身や身近にいる大事な人が共感する世界だろうか

この問いを折々にまた考えてみる。この作品、『社会をよくする投資入門』が、こんな人たちをふやしてくれたらなあ、と強く思いました。

印象的な箇所を各章からピックアップしておきます。


はじめに

「きれいごとでは運用成果など出せるわけがない」「人のお金を使って社会実験するな」と批判を受けたものだ。
そうした言葉は、逆に僕の心を強くした。世の中の常識、社会の常識から新しい価値は生まれないからだ。これは、すべての仕事に通じる。

「運用成果」という言葉が出てきます。これは投資を行った結果、リターンが得られたかどうか、ってことですね。「きれいごとでは運用成果など出せるわけがない」という声を見るたび、思うのです。投資の成果の源は、誰がどこでどうやって生み出しているのか、ということです。そこにきれいなものがゼロ、何も無いなんてことがあるのだろうか、と。

第1章 「社会をよくする投資」とは何か

主役は人であり、会社であり、人の集まりである会社だ。金融はあくまで裏方なのだ。

投資の成果の源はだれ、どこ、どうやって。の答えの一つだと思います。金融の働きは価値を生むために、実現されるために必要です。しかし、どんな価値が生まれるか、どうお金がついたらその価値がより魅力的に、より多くの人に享受されうるか、というところで考えられたら良いのですが、なかなかそうならない。

皆が個性を持たずに同じ思考をしていても新しい価値が生まれることがないように、同じ方向に向かってお金が流れても新たな価値が生まれることはない。

価値を創るのは、実現するのは、人ですが、より大きな価値を実現するには、金融、お金の力、金融資本が必要です。その金融資本がある方向に偏って凝り固まってしまったら、価値が生まれにくくなる。事案によっては手遅れということもあるかもしれません。

第2章 リターンの大元は「事業」である

投資と会社は、経済を推進する動力であり、その活動の結果が社会のあり方を左右する。投資家が投資の先にある社会に目を向けなくてはならない理由がそこにある。投資家は意図しないうちに、未来に対する責任を負っているのだ

未来。投資の成果、リターンは未来からもたらされます。投資している会社が実現した価値、それがその会社の業績の裏付けとなります。その業績から配当が出てきたり、市場の評価である株価上昇が起こるわけです。投資している会社の事業を通じて、僕たち投資家はその会社が創る未来にコミットしています。

この点からも、金融資本が偏った流れになることを考えてみるべきか、と思います。その流れが続く加速すると、どんな未来になるのだろうか、と。

第3章 経済の海と金融クジラ

志を持つ経営者は、価値観が合わない株主に対して、堂々と株式の売却を促せばよい。株価が下がるリスクを恐れて、経営者が株主の顔色をうかがい、株価を上げるため「だけ」の経営をしはじめては本末転倒だ。

この考えはいろんな見方があると思います。「上場会社なのに株主を選ぶ、ってどういうことだ?」という声があるそうですね。でも、上場していること、って誰でも株主になれる一方、株主にならないことも選べるわけです(公的年金等のユニバーサルオーナーにその自由はなさそう、という点ありますが)。

大事なことは、会社と投資家との間で、その会社が目指していること、創り出そうとしている価値に共通の理解、納得が醸成できるかどうか。会社の向かうべき方向性を互いに真摯に語り合えるようになるか、です。

こう考えると、投資先の会社、事業、その価値に、投資家が関心を寄せることがとても大切になってきます。

第4章 「欲望」が集まる金融市場の構造

決定的に欠けているものがある。金融市場の中、つまり金銭価値だけで論理が構成されており、「社会全体で投資が果たすべき役割」については目が向けられていないのだ。

役割は、責任でもあるし、また別の言い方をすれば「可能性」だと思います。そこへの関心を欠いてしまっている最大の理由は、投資・金融がつくっている「価値」への意識が無いことにあるように思います。

この章ではこう問いかけられています。

「数字しか見ない投資」の先に未来はあるか

第5章 投資の「新しい選択肢」

人と人とが関わり合いながら成り立つ社会をより良くするための投資の意義は、自分の利益(リターン)を享受しながらも、投資をきっかけにして、投資を受ける会社や投資をした人自身の意識と行動が、社会をよりよい方向へと向かわせる力になることにこそあると僕は考えている。
 つまり、投資する金額の大小の問題ではなく、投資するお金がどこをめざしているか、お金を増やそうとする先に、どんな社会や未来を描くかが問われているのだ。

投資するお金に意志を載せて託す。その意志の基にどんな想像が、願いがあるのか。別に最初から解像度高いイメージがなくても良いと思います。こうした投資、その行動を重ねていくこと、しっかりと関心を寄せ続けていれば時間と共に解像度が上がっていきます。すべては意志次第、僕はそう思います。

第6章 「社会をよくする投資」の実践

この本でぜひとも読んでいただきたい箇所がこの章にあります

192ページから始まる「日本家屋が100年もつ理由」です。

鎌倉投信さんの本社屋を修繕された瓦職人さんの語る「家を100年もたせるいい屋根」の話。5つ大切な要素が語られています。ぜひお読みください。

最終章 投資の先にどんな「10年後」を描くか

投資とは、投資する会社と同じ船に乗り、投資している会社が描く社会や未来を、あなた自身も描いているといえよう。
 その未来は、あなた自身や身近にいる大事な人が共感する世界だろうか。

僕自身、株式投資を始めて20年あまり。投資を通じて、さまざまな出会いや発見、気づきを得てきました。いくつかの問いを時々考えるようになってから、投資行動を通じて得られるものの意義が深くなり始めた気がしています。

この本を読んであらためて再確認できたこと。それは、「問い」を持つこと、それを持ち続けることの大切さです。「問い」は変わってもいいし、変わらなくてもいい。同じ「問い」に対して答えが変わったって構わない。

「数字しか見ない投資」も、「どうやったら効率的に儲かるのか」を問い続けた結果の産物なのかもしれません。でも、この問いを突き詰めて、明るい未来、幸せな社会が実現されるのか。この本からそんな問いを抱き、正面から向き合ってくれる人が増えてほしい。強くそう感じました。

本を贈ってくださった鎌田さん、ありがとうございました。

これからも「問い」続け、時に遠くから眺めて、社会、未来、そして自分の大切な人たちを意識した投資を続けていきます。


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