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「変化」ではなく「加速」

コロナ契機に起きたのは「変化」ではなく「加速」

確かにそうかもしれませんね。コロナが無かりせば時間をかけてじわじわと衰えていく、下火になっていくことになっていたものが、その衰え、意味、意義の消失スピードを速めている。その一方で、じわじわとゆっくりとしか根付かなかったはずのものが一気に浸透していく。

僕自身の希望を込めているところもあるのですが、年始に読んだ上記の記事を拝読して感じたのは、「自分で選んで」お金を使おう、という考えが広がってきていることです。「お金の使い方」の中には、当然、投資、株式投資も含まれます。

「自分で選んで」 個人が株式投資に自分の意思や価値観を反映させる、そういうスタイルが意識されるには、もっと時間が必要だろう、と考えていました。

というのも、これまで株式投資に馴染みの無い人に用意された「つみたてNISA」では、「投資先は市場全体!」的なパッシブ運用されるファンドがその主流中の主流、主役の中の主役とされているからです。確かに「投資する」という行動そのものは「自分で選んで」なのですが、肝心の投資先については「全部のせでよろしく」という具合です。パッシブですから。どの会社に投資するのか、どれだけ保有するのか、そこは市場等にお任せです。そこに人間の意思はほぼ有りません。市場は人間の意思が集まったものですから、有るといえば有るのですけれど。「個」というよりは「全体」ってことでご理解ください。

この種のパッシブ運用でも時間をかけると株式投資の果実は得られるわけで、預貯金に比べると資産形成のための「お金の使い方」としては有効な可能性が非常に高いと考えられます。つみたてNISAは課税優遇もあるので普及が進んでいると聞きます。

この種のパッシブ運用の浸透が一定程度進んだところで、「ずっとパッシブでいいんだろうか」「自分の意思を投資に反映させる必要はないだろうか」という疑問、問いかけが盛り上がってくる、じわじわとふえてくる、かもしれない、と予想していました(予想というよりは願望というのが実際はピッタリなのですが)。

でも、コロナをきっかけに、「ずっとパッシブでいいんだろうか」「自分の意思を投資に反映させる必要はないだろうか」という疑問、問いかけの出現が「加速」されるのではないか、と考えられます。というのも、コロナが社会の変化の潮流を加速させることで、価値を創り出し評価される尺度の変化も急加速される。つまり、加速する変化に適応して価値を創れる会社は評価が高まり、社会の変化の加速で価値を失っていく会社は評価が落ちていく。「市場任せ」「市場を全部」という考えへの脅威になるかもしれません。

自分の価値観や意思を込めた「お金の使い方」が、今後、もっと盛り上がるのか、また、それが投資、株式投資にも波及してくるのか、大いに注目されます。

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