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『クレジット』という信用社会

*長文注意、ただすごくすごく、大切だと思っていることです。

声に出したいカタカナ暫定1位は「パルミジャーノ・レッジャーノ」、松木蓮です。


昨日こんなことがありました。

スタヴァンゲルでの現在の街の様子を動画配信している時のこと。冷たい春風と、朝飲んだコーヒーの利尿作用のせいで、突然トイレに行きたくなった。公共機関は全面閉館、そもそもトイレ付きで営業している場所を探すのが難しい。

北欧あるあるだと思うのですが、公衆トイレの整備がイマイチ。基本お金かかるし、クレジットがなぜか使えない時もしばしば。コーヒー消費量多いのに、トイレの利便性はそこそこというなんとも微妙な感じ。

その点、日本の公衆衛生はかなり発達してると思います。

そんなわけで、トイレに行きたくなって探しに探して、ようやく電車の駅にあるトイレを見つけました。例によって、カード払い制。読み取ってくれと思いながら、1回目は読み取ってくれなかったけど、もう1回やったら読み取ってくれて、中に入ることに成功。

用を足して、トイレから出ると、僕を待ち伏せていたかのように、小汚い男女の3人組が閉まろうとする扉へ手を伸ばす。

が、リーチが足りずバタンと閉まる。

「Ohhhhhh」と3人が言うや否や、女性が何やら訴えてくる。トイレに行きたいらしい。だけど、入れない。英語もよく通じなさそうでうまくコミュニケーションが取れなかったけど、「現金を渡すから、君のカードでもう一回開けてくれ。」ということだと理解した。

「クレジット持ってないの?」

と聞くと、

「うん、持ってない」

駅員がいるかもよくわからず、そばにあったコンビニの店員さんに聞いてと言おうとしたけど、僕は器が大きいので、10NOK(100円くらい?)をもう一度払い、開けてあげた。

「テンキュウー、テンキュウー」

そういってトイレへ入る男女。
小汚い身なりであったことと、きっとお金も持ってないだろうと思って、すぐにその場を去った。

—————

「私、クレジットを持ってないの」

そう言った女性の顔を思い出しながら、あの人たちはこれからどうやって生きていくんだろう、そう思いながらバスに乗り込んだ。

欧米人ぽい顔つきで、薄汚れた服装。きっとホームレスか、それに近いような感じの人。

クレジットを持っていないって、極めて深刻だと思う。現金を持っていないよりも遥かに。

ここで言う「クレジット」とは、もちろんクレジットカードのことだけど、僕たちは「クレジット」の意味を理解せずに、

「クレジット使えますか?」
「クレジット払いで」

と口を揃えて言う。

整理しておきたいのだけど、「クレジット」は英単語の”credit”のことで、つまり、「信用」を意味する。

クレジットカードとは、利用者に対する「信用」が確認された前提があって受理されるもので、きっと多くの人はこの大前提を忘れている。

「クレジット使えますか?」
「クレジット払いで」

というのを翻訳すると、「僕は必ず後で払うので、どうか僕を「信用」してください」

軽々しく言う「クレジット」には実はこんなにも深い意味合いがあることをまさに今思い返した方がいいと思う。

事実、未払いがあるとブラックリストに入れられてカード利用できなることもあるし、僕の知り合いでもそう言う人はいる。カード会社はその人を「信用」できる人として見ていないから。

これからの経済が最悪と言えるレベルにまで悪化する、と方々で耳にする。これをそのまま飲み込んだとして、じゃあどうしたら生き残ることができるのか。

これが紛れもなく、「信用」だと思う。

自分が困っているとき、助けてくれる人がいるか。言い換えると、自分に手を差し伸べてくれるまでに、自分という人間は信頼できるやつなのか。リスクとコストをかけてまで、助けてくれるには信用がなければ始まらない。

今、この「信用」と深く根付いたことが各国で起きている。

例えば、現在の状況に対するスウェーデンでの対策が北欧でも異色で取り沙汰されている。3000人以上の感染者を抱えていながら、未だロックダウンをしていない。とある記事では、これはスウェーデン国民が他者への信頼が厚いからであって、もっと言えば、政府に対する絶対的な信頼が少なからずあるからだと指摘されている。

ノルウェーに至っても、政府に対する信頼は間違いなく厚い。それはひとえに北欧型社会福祉モデルに起因するものであって、それを実現するまでの信頼醸成に精を出した先人たちの功績だと僕は思う。パート労働者でも政府から補助金を受けられるかもしれないと友達から聞いた。

一方、日本は?

きっと多くの人は懐疑的に思っているのでは?表向きな発言とうわべでの言葉たち。現に、「3密」を避けるよう喚起する会見現場に「3密」がある。

これは北欧と日本の「信頼・信用」の話であって、社会保障云々の表面的な話ではない。


あの時僕が10NOK払ったのは、彼らに対して信用があったからではなくて、単なる善意と慈悲。

じゃあ、どうやったら「信用」を勝ち取ることができるのか。僕なりに考えてみる。

「信用」「信頼」というワードはここ一年ほど掘りに掘って考えていることで、今もなおそうで自分は他の人から信頼られる人間なのか、仮説検証を繰り返している。

自分が相手を信用したから相手も信用してくれるかというと、そんな甘い話はない。意外と一方通行な場合も多い。

これまで色々と考えてきて、僕が思う信頼の作り方。もちろんすごく大切な要素は沢山あるけど、一番根幹にあるのはこれだと思う。

嘘をつかない。
隠さない。

この2つは間違いなく大事。嘘をつく人を信じれないことなんて言わなくてもわかってるけど、さっきの3密の話ではないけど、言葉と発言が矛盾していると、そりゃ信用は生まれない。生まれるはずがない。

それから、隠さない。

個人レベルで言えば、まず自分のことを知ってもらうこと。どんな人間で何が好きで、どんなことを考えているのか。

初対面の人との会話でまずお互いのことを話すと思うのだけど、それはその人との共通点を知るだけでなく、まずが自分が信頼できる人なのかを無意識に探っているんだと思う。

ひとまず、この2つは最低限常に心に据えておかないとなかなか辛いんじゃないかな。

だって、これから失業者が急増した時に、自分を信頼してくれる人がいないと、その人は自分の力だけで生きていかなきゃいけなくなる。日に日に財布が軽くなって、経済的理由から犯罪にも手を染めかねない。

どう考えても、「信用」という言葉は軽く見てはいけないと思ってる。平気で嘘つく人は少なくない。悪気がなくて付いてるわけではないかもしれないけど、嘘をつかれた側からしたらなかなか辛い。


「私、クレジットを持ってないの」

これってつまり、私はあなたが信用できるに値する人間ではないの、と言っているようなもの。

これから何十年も続く、これまでにない激動の時代を上を向いて笑って生きていくためには、まず「クレジット」が最低にして最大の必要条件だと思う。

クレジットを甘く見ていてはダメだ。
嘘なんかついている場合じゃない。
隠し事なんかしてる場合じゃない。

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