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【落ち葉の踊りと「点」と「線」】

SNSでよく流れている新総理誕生の写真(5人が写ってるやつ)を見て、男だらけよりも先に「え、なんかむちゃくちゃ画質悪くない?」を思ってしまった松木蓮ことアマチュア写真家です。
#多分画質悪くない
#なんで悪く見えたんだろう


写真にまつわる話なのですが、今日ふとやっぱそうだよなと思うことがありました。
#connecting_the_dotsが結論になる話です


町の木々が薄っすら色付き始めて、道行く人の服装にも変化が現れています。そんな秋の匂いが漂うデンマーク第4の都市オールボーでの出来事。


夕暮れ時、街を歩いているとなんだか風が強く吹く瞬間がありました。それなりに伸びた僕の前髪がオールバックへと変形する程度の強風です。
#髪を伸ばそうかと思っている


その時、道端に落ちている葉っぱたちが風に合わせて追いかけっこをし始めました。幼児のような感性を持ち合わせている僕は、その様子に愛くるしさを感じていながら、子供を見守る親御のごとく眺めていました。と、次の瞬間、葉っぱたちが円を描くように踊り始めたのです。
#上手に踊っている様子は撮り損ねました
#5分ほどずっと地面の葉っぱを凝視していたのですれ違う人は僕を変質者だと思ってたはず


一枚一枚の葉が合わさってぐるぐる回っているのを見て、どこか声が聞こえてきそうで「なんか物語が始まりそうやん!」と思ったのと同時に、「やっぱりそういうことか!」と思いました。「そういうことか」というのが本編です。


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線は点と点が繋がってできている
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この葉っぱたちの踊り( #紅葉の舞踏会 )はあくまでも動いているからこそ面白いのであって、その一コマを切り取った一枚は何の味もしません(今日の写真の方)。つまるところ、「点」で見たとき物事は味気なくなることがあるのですが、それを時系列という「線」で見ると、途端に意味を持ち始めます。


瞬間を切り取った写真というメディアは、ここでいうと「点」となる。確かに写真には切り取り方によっては味付けできるけど、動画の方が美味しい場合が多い。
#ハリーポッターで新聞が動き出すとワクワクする感じ


これは「点」よりも「線」の方が良いという優劣の話ではありません。「線」を構成する最大にして最小の単位が「点」なわけですが、この点がないと線は生まれません。点の連続が線であるので、点は線であるための十分条件ということになる。


つまるところ、「わー!」っとあっと驚くような線を引くためには、興ナシになりうる点を打つ必要があるということになります。
#大学受験で学んだ古文単語がここにきて線になりました


有名な話ですが、スティーブ・ジョブスは大学中退後、友人の部屋で借り暮らしをしながらカリグラフィーを学んでいました。彼自身この西洋書道は興アリの「点」だったと思うのですが、ハタから見ると興ナシです。が、のちにこれが繋がってパソコンのフォントに革新的な影響を与えることになる。


つまり、この例から分かるように何気なく打った点がのちに、他の点と繋がって線になるということですね。きっと線になる瞬間ってむちゃくちゃ気持ちいと思います。


色々とconnecting the dotsに関する解釈があるようですが、僕はこのように飲み込んでいます。言い換えれば、あとで花が咲くかわからないような種であっても、それを面白い!と細胞が喜んでいるのであれば、その細胞の指示に従うべきで、もしかすると水をあげているうちにラフレシアよりも大きな花になるかもしれない。


点と点が線になるというのは、意図的に繋げることができるというチープなものではないはずであって、どこか結果論というか後付けみたいな捉え方の方が適切なのかなと思います。


僕の思考に革命的な影響を与えた小さな巨匠松浦弥太郎氏の著書にてこんな記述があったと記憶しています。

「20代は種蒔きの期間」

明日もせっせと種を蒔こうと思います。


おやすみなさい。

※noteで動画のアップが出来なさそうなので、紅葉の舞踏会はお見せできません。Facebookにてご確認いただけます。

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