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【鉄道の歴史を簡単に。】

オスロの再開発現場にて久々にレースを見て、鉄道の普及について興味が出ました。そんなわけで鉄道の歴史について調べたことをざっくりとまとめてみます。


言わずもがな、近代鉄道のパイオニアは大英帝国です。19世紀初期の産業革命期に誕生し、1830年代に本格化しました。産業革命を大きく二分化すると、第一次としての繊維工業の発達。紡績機などがそれに当たります。そして、次いでやってきたのが第二次産業革命。ここで製鉄や石炭などの工業です。

産業革命以前(鉄道以前)の移動手段は、馬車によるものと運河によるものが主流だったよう。馬車の特徴として、手軽な物流として機能していたのですが、大量に運搬するのには不向きだった。一方、運河を伝った船舶による手段では大量に運搬できた反面、運河の建設に膨大な時間と予算がかかった。

そんなわけで、鉄道はその間に入り込むような役割として一気に普及したようです。

鉄道のような輸送手段の着想は1804年からあったようで、トレビシクという人がそうです。実用化までは至らないまでも、先駆けとされている人物のよう。そして、そのあとにやってくるのが”鉄道の父”として名高いスティーブンソン。1825年に初めて蒸気機関車を走らせ、これが俗にいうストックトン・ダーリントン間に輸送です。ここでは、旅客用ではなく石炭輸送にて利用されていたよう。

1830年になると石炭輸送から旅客用途での輸送が始まり、これも有名なマンチェスター・リヴァプール間での輸送です。以後、1840年代にイギリスの鉄道が盛んになり、やがて周辺国に伝播しました。日本の鉄道は新橋・横浜間での輸送で有名ですね。


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▼鉄道への反発とその意義
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業界(今回でいえば物流や輸送)に革新がもたらされると、必ず既得権を守るために従来勢力が反発します。鉄道でいえば、先述の通り従来の移動手段として荷馬車や船舶が普及済みであったので、そこからの猛反発を被る。

事実、フランスは鉄道普及が周辺国よりも遅かったようなのですが、これはフランスではすでに強固な馬車の交通網がカバーしていたからだそう。

鉄道が普及するやいなや、一気に従来の輸送手段が没落したのですが、もちろんこれには大きな理由がありました。

まず政治的な意義。産業革命により産業資本家が台頭していて、彼らは新たなブルジョア層として自由主義経済を求めます。ここで保守派(貴族、大地主など)との対立が起きる。当たり前ですが、利権争いが激化したということですね。

それから、経済的意義。鉄道が普及したということの背景には直接的な経済の効果があったからに他なりません。事実、産業革命期と一致しているということもあって、移動が簡便になると地方から都会へ移動する人が増え、工場で長時間働く人が増えました。鉄道がこれを助長したということですね。人の輸送も物流も活発になり、イギリスでは早々に網目状に鉄道が発達しました。

他にもアメリカなんかでは大陸横断鉄道が完成し、主な労働力として中華系移民(苦力:クーリー)の存在が大きかった。世界史でやったのが懐かしいです。加えて、この苦力たちは奴隷解放宣言によるアフリカ人の解放とスライドするようにアメリカへ流れていった背景もある。

最後に、軍事的意義。産業革命は生活を豊かにした裏で、その行く末に帝国主義時代があります。鉄道敷設は各国が目論む大きな利潤であって、第一次世界大戦では英独で実際に表面化しました。植民地を結んで、イギリスは3C政策、ドイツは3B政策(ドイツの3B政策がベルリン、ビザンティウム、バグダッドを鉄道で直線上に結ぶというもの)。

ロシアはアジア進出に向けてシベリア鉄道の開発に躍起になりました。眠れる獅子中国の領土争いでも全く同じで、欧米列強がパイを切り分けるかのように至るところに鉄道を敷こうとしました。日露戦争で勝利を収めて日本も南満州鉄道を作ったり、一枚噛んでいます。

とまあ、鉄道史を見るといろんな側面から歴史を振り返れて、何より大学受験で勉強したことがまた蘇ってくる感覚がむちゃくちゃ気持ちいです。

今となっては空の移動手段も選択肢の1つになりましたが、鉄道に関しては今もなお生活の基盤を支えるインフラとして機能しているので、すごーく勉強になるなとふむふむ言いながら調べてました。

以上です。

今週も素敵な一週間を!

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