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僕はコピー人間だ。

もう幸福度に順位づけするのなんか辞めようゼとか思っておきながら、しれっと「世界幸福度ランキング」で検索順位が2、3番目くらいの記事を書いている松木蓮です。

よかったらググってみて下さい。幸福の定義はさておき、北欧が大切にしていることが見えてくる記事になっています。あ、この記事の結論をさらに根拠付ける動画を作成中です。
 

さて、最近友達と話している時にわかった僕のことについて。意外にも人並みくらいには何でもできちゃう少年で、これまで持ち上げられることが多かった子供時代でした。

ただ、飛び抜けた才能なんてあるわけがないっス。そもそも極端な負けず嫌いであるがゆえに、自分が叶わないと思った人とハナから戦ってこなかった。

幼稚園からサッカーを始めても全くの下手くそで、それよかできると思ってやってみたミニバスも同じ小学校にバケモンみたいに上手いやつがいて諦める。それからバスケで戦うのを辞めて、勉強にシフトしました(多分彼は今頃プロのバスケ選手になってると思う)。事あるごとにそのコミュニティーで自分が勝てる場所をとことん探すやつです。

だから、負けているところを基本的に見せないので、客観的に見て「凄いやつ!」に見えるけど、それは単に自分の欠点を隠し、大きく見せるのがうまいからだと思います。

そもそも、めっちゃドジだし、だいたいミスはするし、完璧を求めすぎるし、なかなかのダメ人間です。

それでもどうやら「真似る」ことだけは得意であることが最近わかりました。

絵なんかでいえば、模写が得意で今でも時々イラストをまんまコピーしたものを書いたりしています。最近はトイストーリーのラフ画っぽいやつを模写したゾ。

左利きのくせに意外と字がキレイなやつで、小学校の時に書き初めで賞をもらったこともある記憶がある。これも、決まった時を書けばいいだけのことなので真似ると言えると思います。あ、書道はめちゃめちゃ下手くそです。

料理も人並みくらいにはできて、なぜかパチパチとされることもあるのですが、これは完全に親の影響だと思います。正確には、親が料理をしているのを見て覚えてそれを再現してるだけです。

誤解のないように補足しておくと、オリジナリティーという芸を持たないコピー人間であるという事です。

天然の模倣家であったわけではなくて、たぶん家庭環境だと思います。僕は4人兄姉弟の3番目で、幼い頃から上と下が怒られたり褒められたりするのを見て育ちました。そうして無意識にコピーできるようになったんだと思います。それあってか、(良いのか悪いのか)これまでほとんど怒られた経験がありません。

世間的には「真似る」ということがネガティブに響くのかもしれませんが、僕はまずは真似した方がいんじゃねって思う派です。

何か新しいことを始めようとか、誰も思いつかないことをやろうとか、だいたいそういう人は沢山いると思うのですが、意外にもとりあえずコピーすることの延長に創造性があると思っています。

アルファベット26文字に新しい文字を追加しようとするとして、真似ない人は既存のアルファベットには目を向けません。でも真似るやつはとりあえず26文字は完璧にする。そしてその先にあるのが、掛け合わせ。アルファベットにはあるa、e、oっていうのがあるっぽいからそれを組み合わせてみたらどうだろう。きっとåとかæが生まれると思います。真似ない人はきっと、Σ、θみたいな空気の読めない文字を生み出すと思います。

少し例がわかりにくいかもしれませんが、まずは真似をしないとその分野において土台ができない。高さだけ求めて土台をおそろかにすると、どんなに高く積み上げてもそのうち必ず倒れる。

それよか、まずは強靭な基盤を作り上げてから、その上に積み重ねていったほうが長い目で見てコスパが良さそうです。

武道でよくいう「守破離」の「守」をまずは文字通り「守」ることが必要ぽいっス。

だって、世の中のモノ・サービスってだいたい既存のものの掛け合わせなんだもん。

やっぱり真似って大事だと思うんですよネェ。
とりあえず真似しよう。

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今日の一枚。上は僕の作品で、下はプロの作品です。どっちがどっちかわかりますか?さすがにわかるか。僕の母校の学部はヘンテコな授業が結構あって、これは4年生の時に取っていた写真の授業の課題です。

”有名な写真家の作品を真似して、それを提出しなさい”

みたいな感じだったと思います。僕がコピーしたのは、超有名な写真家の奥山由之さんです。映像クリエイターもされていて、ポカリスウェットのCMが有名だと思います。

たぶん僕はコピーならそれなりにできるやつです。

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