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北の海賊ヴァイキング〜vol.1 『家庭の在り方』〜

こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。

今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。今年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。


今回は、参考文献の第1章「Domestic Life」より、当時の家庭内のシステム、役割についてみていきます。本書の順番に倣って1つずつまとめていきます。

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↑ヴァイキング船博物館(オスロ)にて


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▼1000年前から認められる女性の相続権

今でさえ北欧諸国はその男女間での平等性が比較的保たれていると評価されていますが、1000年前はどうだったのでしょうか?ここではこの女性の地位について相続を中心にみていきます。

ヴァイキング時代のルーン石碑によると、当時からある程度家庭内での女性の地位が保たれていたようです。例えば、相続についていえば、女性が相続する権利が認められていたケースもあります。

「息子、娘、おじ」この三者が相続人の対象であったとすると、さすがに息子が一番優遇され、優先順位が高かったようです。その次に優先されていたのは?娘です。おじよりも娘の方が上にいたんですね。これは祖父でも同じです。おじと祖父の上下については言及されていませんでしたが、こうした順番になっていたよう。

〜ヴァイキングの相続の順番〜
息子>娘>おじ=祖父

他の国だとあまり考えられなさそうな順番ですよね。日本でも歴史的に男尊女卑が根強かったことを考えると当時から平等に近かったのは驚きです。

それから子供がいるケース、つまりお母さんの相続です。自身の子供がなくなったときの土地の相続に関して、その子供に後継がいなければそのまま母親が相続していました。もちろんこれは父親に当たる男性をすでに(航海などで)亡くしてしまっているケースです。

先ほどの娘の地位について、母親はどこに位置するのかなど深く書かれていない部分も多いですが、ひとまず当時より女子の地位がある程度認められていたことは確かなようです。



▼ヴァイキングに大家族がなかった理由

当時の家庭構成はどうだったのか?ヴァイキング時代は日本でいう平安時代に当たります。そんな当時、北欧では核家族(父、母、子)が一般的でした。その理由として寿命が上げられています。当時の平均寿命は30〜40代であったので、そもそも大家族になり得なかったということですね。

それでは、各々の家族が独立して家業(農業が中心)を営んでいたのかというとそうでもなかったとか。過疎なエリア、あるいは牧畜などを営んでいる家庭に関しては、2〜3家族が束になって協力し合いながら生活していたようです。

家庭内の構成人数は核家族だと5〜6人が一般的で、当時は乳児死亡率は高かったはずなので妥当な数字かなと思います。召使いや親族などが一緒になって暮らすケースだと10〜13人が推定人数ですが、これはあくまで推定のよう。

ヴァイキング時代において家庭の繋がりというのは強く、構成員がトラブル(傷害、殺人など)を起こしてしまった場合、その責任の所在はその当事者ならびに家族にありました。家族間でのサポートも一般的でした。この辺については、wergildという法律で明確に定められていたようです。



▼キリスト教以前の婚約の慣習

婚約に関する慣習をみていきましょう。これはキリスト教が入ってくる前の話になります。元々北欧はオーディンを主神とする多神教に強い信仰心を持ってました。最初に教会ができたのが850年頃。デンマークのHedebyという町です。ヴァイキング時代の幕開けは793年のリンデスファーン修道院(イギリス)襲撃からなので、それまでの間、あるいは以後キリスト教が浸透するまでの間の慣習だとみて良さそうです。

当時の婚約において家族間での利害関係が重要視されていました。アレンジされた婚約が多かったようです。基本的に男性が婚約者を決めていたのですが、そこには感情が含まれていないことが多かったということですね。

婚約成立までは段取りが2つ。婚約と挙式。まず、婚約については男性とその父親が主導権を握って行われました(女性側の父親は干渉する余地がなかった)。キリスト教が普及するまでは女性側がこのプロセスに立ち会うことがありませんでした。女性の婚期については、12歳頃からが多かったそうです。

交渉が成立すると男性側はthe bride priceと呼ばれるお金を払うことを約束し、女性の父親あるいは親権者は挙式にて持参金(dowry)を渡すことで合意します。

挙式は晩餐会という形で一方の自宅にて執り行われました。数日間続き、クライマックス(必ずしも終わりという意味ではない)にて、婚約者同士が肉体関係を結んだそうです。

それから、ヴァイキング遠征中に(半ば無理やり)女性を獲得して妻として実家(本拠地)に迎え入れるというケースもありました。



▼ヴァイキング間での不倫の位置付け

婚約をしたは良いものの、不倫というのはいつの時代も起こりうる問題のようです。女性側が不倫をしてしまった場合には、これは大きな罪になったよう。スウェーデンとデンマークの法令では夫は不倫した妻とその相手を処刑することが許されていました。多くの王族や首長では、一夫多妻を取っていたました。



▼ヴァイキング時代の「性」に対する考え方

今でさえLGBTに対する理解とサポートが手厚い北欧諸国ですが、ヴァイキング時代はそうでもなかったようです。原則として、異性に対する恋愛感情というのが社会規範としてありました。

ただし、アイスランドのサガなどの記述では男性間の同性愛については社会現象として認知はされていたようです。そこでは、男性間での恋愛について、”男らしくない”、”不道徳”などと書かれていました。

彼らの多くが農業や漁業を営んでいながらもヨーロッパを荒らし、略奪を繰り返した海賊ではあるので、その点肉体的な強さの象徴を誇示する必要があったというのは理解できます。



▼北欧の離婚率の高さはヴァイキングの名残?

先ほどの項で女性の相続権について言及しましたが、離婚に関して女性の権利は認められている部分もありました。

婚約時は男性側に強い権力がありましたが、婚約解消については双方に権利が付与されていました。つまり。女性も離婚を切り出せたということになります。これはかなり先進的だったかなと思います。

しかし、これはキリスト教が入る前の慣習で、キリスト教布教以後に関しては婚約を敬虔な取り決め(婚約時、永遠の愛を誓うので解消されるべきものではない)として扱うため不名誉なものとして考えられていました。

婚約解消した際には、自分の所持物と挙式で持ち出した持参金(dowry)を元の家族のもとへ持ち帰ります。離婚の原因が夫側にあった場合には、婚約時のthe bride priceを妻が受け取ることができました。これは、離婚後に貧困にならないようにするためだったようです。

ただし、当時の離婚は目撃者(立会人)がいれば十分であったので、どこまで正しく行われていたのかはわからないはずです。とはいえ、当時から女性に離婚を切り出す権限があり、それでいて離婚後も生活できるようなシステムを作っていたという点は世界的にみて稀であったことは確かです。

これは今に見る、北欧の離婚率の高さ(→ネガティヴな意味合いは含まない)と女性の経済的自立を促す法整備に垣間見れるかと思います。因果は不明ですが、相関性はありそうですね。



▼ヴァイキング時代の女性はどのように過ごしたのか

ここでは主な女性の役割についてみていきます。ヴァイキング時代であれ、ステレオタイプ的な男女の役割はある程度ありました。男性は外で、女性は中で役割を担う。法整備などについては男性間で制限されていましたし、男性は戦い(女性が戦いに参加したケースはある)、議会で発言権がありました。

当時女性が担う大きな役割として、子孫(特に男児)を残すというのがありました。当時は乳児死亡率も高かったということもあり、既婚女性は立て続けに妊娠していたようです。こうしたことから、女性は必然的に子育てに時間を費やすことになっていたというわけです。また、連続的な妊娠が体を圧迫し、出産に紐づいた合併症なども起こりやすく、女性の死亡率が高かったと言います。

しかしながら、どうやら女性の死因はそこだけに単純化してはいけなく、当時子育て以外にも高齢者や病人の看護も担っていたので、感染症も大きく関係しています。

女性の役割という話に戻ると、大きな町に住んでいた女性についてはあまり文献がなくわからないようです。家庭内で大きな役割を担っていたということですが、大きな農場を抱える家庭の場合は、女性も率先して農作業に従事していました。



▼未亡人になって自由を謳歌した?

既婚者の中でも、配偶者を西側遠征の渦中で最期を迎える人もいます。そんな男性を持っていた女性は未亡人となったわけですが、若くしてなくした場合、彼女らはその後すぐに再婚するというケースが多くありました。

それなりに年を重ねていた女性については、かえって自由を謳歌することになったとか。少なくとも社会的な地位が高くにあった女性については、(婚約時の持参金と合わせて)生活に余裕が生まれたということです。



▼未婚女性の生活

未婚女性についてはどうでしょうか。もちろん必ずしも全ての女性が婚約していたわけではありません。実家にいる必要がなくなった彼女らは、家を離れ、農場で働いたり都市部に出向いて働いていました。仕事の多くは、洗濯・醸造・裁縫・仕立てなどでした。ただ、所得については小さいものしか見込めず、労働の対価として、住まい(lodging)、食糧、衣類を受け取っていたそうです。



▼短い命で最期を迎えた子供達

ここから子供についてみていきましょう。特筆すべきことではないですが、当時は医学も発達しておらず乳児死亡率は高かったです。そのうちの1つとして、女性が成長しきっていないまま産んでしまっていたということが挙げられます。先述の通り、10代前半で婚約するケースが多かったため、身体的に成熟していないという場合が多分にありました。

出産が過酷な際にはヴァイキングならではの対処法があり、それはルーン文字やおまじないによる療法です。キリスト教以後については、これらは聖母マリアらに変わっていきました。

乳児死亡の原因は不衛生な環境に他なりませんが、それにより、急性胃潰瘍、赤痢、腸チフスなどがありました。他にも、麻疹、ジフテリア、咳、猩紅熱も子供達を苦しめたとされています。



▼ヴァイキング時代の名前の付け方

生まれた子供はすぐに名前を与えられます。名前が与えられるというのは、そのコミュニティーに属するということを象徴して、キリスト教社会であれば、教会に属するということになります。キリスト教以前であっても、儀式として乳児に水をかけるというものが執り行われていました。

言うまでのなく、どんな名前にするのかというのは重要で、名前と個人の素質、それから幸運というのは密接に繋がっていると考えられていたからです。

(父)親の名前に倣ってつけられる場合や、北欧神話の雷神トール(Thor)の名を汲んで、Thorgrim、Thorsten、Thorgaut、Thordis、Toki、Tobbiなどをつけることも多かったようです。



▼この章のまとめ

この章では、ヴァイキングの家庭内の関係性に焦点を当てて書いてみました。内容が女性の役割から婚約、離婚、子供にまでと幅広く網羅しているので一言でまとめるのは難しいですが、印象的だった点を箇条書きで、もう一度振り返ってみます。

ヴァキング時代の女性は同時代の他地域の女性よりも大きな権利(相続、離婚)が保障されていた。
キリスト教以前のヴァイキングでは、カジュアルに離婚が起こっており、それでいてその後の生活を保障できるようなシステムが作られていた。それが現代を生きる北欧の在り方にも透けて見える。

ヴァイキングといえば、北の海賊を指すことが多いですが、この時代を生きた縁の下の力持ちである女性に焦点を当ててみるとその関係性が少しは見えてきたかと思います。

引き続き、彼らの生活に注目していきましょう!

Vi ses!!



参考文献:

Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.


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