vigil for Virgil
読んでから詠む
読むことなしに詠むことはできない――。これは、日本の定型詩を論じるさいによく言われる言葉です。
読むと詠むがつながっているようです。それはそうです。定型があるのですから、勝手につくるわけにはいきません。
先行する歌なり句なり作品を踏まえて、個人がつくるわけです。個人は大きなつながりの中にいて、その中の枠からはみ出すことはできない世界でしょう。
その意味で個人は故人につらなります。個人の声は、それより先に立った個人たち、つまり故人たちの声と重なる。そんな世界の話なのです。
闇、夜、黄泉です。
そこは声たちに耳を傾ける時空だと思います。暗くて見えないところで、じっと耳を澄ますのです。
いま述べたことは、定型詩にかぎらず、物語や小説といった散文でも言えると思います。
夜が明ける
やはり、古井由吉を思いださずにはいられません。冒頭で、葬式、お通夜、往生が出てくる小説をあれだけたくさん書いた書き手です。
ひたすら明けるのを待ち続ける場と時が、送りであり通夜であり往生です。
耳を澄まして明けるのを待つ。そこにいる人たちと、いない人たちの声が重なる――。これが古井の書く言葉の世界の基調だと思います。
そうした古井の書く際の姿勢に、古井が大学教員時代に読みこんだというヘルマン・ブロッホの『ウェルギリウスの死』(Der Tod des Vergil)の影を濃く感じます。
つや・通夜、よとぎ・夜伽
wake(目が覚める、生き返る、寝ずにいる、寝ずの番をする、アイルランドなどの通夜)
awake(目が覚める、目が覚めて)
vigil(寝ずの番、通夜)
Virgil(ウェルギリウスの英語での表記)、Vergil(ウェルギリウスのドイツ語での表記)
あける、akeru、明ける、開ける、空ける
わける・wakeru・分ける・別ける、わかれる・wakareru・分れる・別れる
夜明け・よあけ・yoake、夜分け・よわけ・yowake
『フィネガンズ・ウェイク』(Finnegans Wake)(柳瀬尚紀訳)を思いだすなと言われても無理です。
書いたのはジョイスです。
Who's that?
たそがれ、たそかれ、誰そ彼、黄昏
かわたれ、かはたれ、彼は誰
ジョイスです、彼のジェイムズ・ジョイス(James Joyce)。
※ヘッダーの写真はもときさんからお借りしました。
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