「あなたはまだ人生において自分自身の羽を広げたことがない」
って言われて考えた
なんだろう最近。
人との会話も、突然向けられる言葉も、偶然とは思えないくらい一致感がある。
極めつけはこれだ。
とあるセッションで言われたこと。
「あなたはまだ人生において、自分自身の羽を広げたことがないですね」
いやこれね、ほんとにそうなんよ。
自覚あります。
基本的に幸せにいきてるし、やりたいこともやっている。それなりに、挑戦する人生を生きてきたとも思う。
でも体感まだ40%くらいなんだよね。
「こうでなきゃいけない」って、心のどこかで思っていないだろうかと思うようになった。
というか、過去の成功体験から「こうであることが私だ」というものをまだまだきっと、にぎっているんだろう。
これは私のことだけど、私のことだけじゃないはず。
多くの人と話をする中で、多かれ少なかれ、そんな感覚をもってる人が多いと感じている。
「変わる」ってことじゃない。どこまでも「Be myself」
そういう時、「何かを付け足す」とか「自分のダメなことを変えよう」としがちだけど、本質的にはあんまりね、必要ない。
あなたのことを、本当に大切に思っている人であればあるほど「変えてほしい」とは思わないもの。
それよりも、ありのままのあなたを心から発揮してほしいと願っているとおもう。
変えなきゃ変えなきゃって、苦しんでる姿を見るよりも「Be Yourself」と伝えたい。自然体であれ。
仮にそれでしょーもない面が見えたとしても、まあ簡単には嫌いになれないもんだよ。
どちらかといったら必要なのは「とりもどす」に近いことなんだろう。本来の自分の魅力と、才能。
魅力とは、生まれ持った強み。
才能とは、その人のオリジナリティ。
そこを思い切りのびのびと自然体で発揮する。
自分自身の羽を広げるって、そんなことに近いんだろうなぁ。
まあできないことは無数にあるし、あかんわワタシって思うこともたくさんあるけど、そう思う部分の裏側には、強烈な「魅力」や「才能」が眠ってるもんだよね。物事は表裏一体。
見たことのない景色がみたい、熱狂していたい
人生100年と考えると、まだ60年もある。
そう思うとまだ折り返し地点にもいない。
5年後なにしてんだろ。どこにいるかももはやわからない。
それと同じくらい、明日死ぬ可能性もあるのが人生。
突然の別れがくることも、ある。
私がひとつ言えるのは、見たことがない景色がみたいし、熱狂していたい。熱狂している人を見ていたい。自分の中の情熱を、存分に発揮していたい。そんな望みが常にある。
なんだか楽しみ。
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