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パニック障害との付き合い

 まず、頭の中で自動的に不安が高ぶり、脳が締め付けられる感覚が起こる。それによって嘔吐中枢が刺激され、口内の唾液の分泌量が増える。次に来る、胃を直接掴んで揉まれているような感覚。胃液が逆流してくるような感覚。そして喉が閉塞してくるような苦しさ。耐え難い不安と吐き気に襲われる。止まらない警報音。しかし、眼前に広がるのは、なんてことはないただの日常―

 14歳、いや13歳のときだっただろうか。正確な時期は定かでないが、その頃からパニック障害を患っている。特に、複数人の前で話すときや、外食をする時は症状が出やすい。ゆえに、誰かと一緒に食事に行くときは勇気がいる。行っても、発作ばかりが気になって楽しめないことも多い。

 この病気について、他人に話すこともあまりない。大抵の場合、理解してもらえないからだ。気持ちの問題だと解釈されてしまう。不安が強くなる、という表現が良くないのだろうか?自分で不安になるのではなく、勝手に不安にさせられるのだ。状況を判断する主導権を、身体を動かす権限を、脳に奪われているような反応。離人感、とも言うのだろうか。この最も重要な点が、未経験者には話しても伝わらない。

 パニック障害を発症するメカニズムは、現代の医学でもはっきりとはわかっていないのだという。青班核のノルアドレナリンの働きがどうとか、セロトニンの濃度がどうとか、戦うか逃げるか反応の誤作動が云々、断片的には解明されているが、どれも仮説に過ぎないようだ。精神疾患に分類される病気は、どれもみんな似たような感じだ。別に珍しい病気ではないのに、よくわかっていないことが多い。

 そんな私でも、2年半ほど前には、なぜ苦しんでいたのか分からないほど症状が寛解していた。友達と出かけるために、各地のレストランを調べるのが楽しかった。だがそれもコロナが出てきてから、以前のような状態に逆戻りしてしまった。孤独感が強くなったからだろうか。社会の中に居場所がある、信頼できるコミュニティがあるという安心感が、治療薬になっているのかもしれない。

 パニック障害とはもう長い付き合いになるが、電車が来ていないのに踏切の警報音を鳴らすような行為は、もう勘弁してほしい。全国的にも、開かずの踏切は解消される方向にあるのだ。それなら私の頭の中の踏切だって、もう廃止しても良い時期だろう。大丈夫だ。障害を抱えつつも、ここまでやってきた強さを、自分は知っている。外に出て、活動している。それだけでもすごいことだから。たった1つや2つの障害で、自分のやりたいことを諦める訳にはいかないから。たとえ症状が治らなかったとしても、自分の欲しいものは、全て手に入れる。そう決めたから。

 次の誰かとの食事会は、楽しめるといいな…


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