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わたしにとっての日記

日記っていうのは多分、胃腸みたいなものだ。

笑いが止まらなくなる出来事、箇条書きにも値しない1日、そのどちらでもない日常。
そんなものをひっくるめて全部、うまく消化するための器官が日記なんだと思う。
どれだけ嬉しいことも、寂しいことも、わたしは全て幸福の糧にしていきたい。


定期的に日記を書くようになって気づいたのは、いちいち立ち止まることの面白さ。
幸いなことに、効率=高価値の社会にもまだ、どうでもいいことが溢れている。

たとえば、
様になる本の読み方ってどんなだろう?
いつもすれ違う猫のモーニングルーティンは?
桜が綺麗に咲く理由とは?

そんなことは考えなくても生きていける。
人っていうのはわざわざ立ち止まらなくても生存できる生き物だ。考えなくていいことは考えなくてもいいし、それでも幸せになれる。わたしは本気でそう思う。

じゃあなぜわたしは「書く」のか?
幸せになるために書いているわけでないのなら、理由に何が残るのか?

それは、考えたことが文章として形成されるのが気持ちいいからだ。単純に楽しいからだ。

「エモい」だけじゃ物足りないな、
自分はどこに魅力を感じて、具体的にどんなことを思ったのだろう。

日記が習慣になり、いちいち考えて文章にすることでしか「自分だけのものになったな」と思えない体になってしまった。後悔はない。
そこでやっとわたしに起こった出来事なんだと納得できるようになるから。ちゃんと思い出にするための過程。

わたしが文章を書くのは、自分に起こった全てを肯定するためなんだと思う。今のところだけど。

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