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夢幻鉄道 12 解離

どうしようもなく、悲しく苦しかった日々が終わり、希望が出てきたある日の通勤帰り、、、いつもの電車に乗って帰途についたはずが、気がつくと、知らない海辺の街の昼下がりだった。

時空を超えたのか、いや、どうやらこれは誰かの夢の中らしい。

~ある日だれかの夢の中に入る。それが夢幻鉄道の物語となる~

2011年3月11日の東日本大震災の最中にいた。   注意)過激な描写があります。ここから先はご自身と相談され、読み進めるか、とまるか自由です。

「見ろ!津波は4階を越えてくる!」

その声を、4階までしかないアパートの外階段の踊り場で聞いた。

夢の中の僕は、その言葉を信じたくなかった。この揺れだと、2階建てでは津波が心配だな、と自宅を出て、余裕をみて近くの4階建ての建物に避難したんだ。

その予想を現実の津波は遥かに超えてきた。

目の前までせまりくる濁流の中に、人間の形をしたものが、混ざっていた。あまりに至近距離で繰り広げられる現実。

僕は「津波はずっとは続かない。手すりにつかまって、波に耐えて!」と周りに声をかけた。

目の前に園児の乗ったバスが浮いていた。先生が中から扉を開けようとしているが、水圧で開かないらしい。

園児は誰一人泣かずに、固まっているように見えた。

そこへ助けがきた。外から非常扉を開け、園児を近くの山肌へ一人ずつ避難させていく。

我々の建物よりも、より高い安全なアパートの踊り場にも、園児を避難させる様子が見えた。

僕はこれ以上高台に行く術もなく、園児達までは距離があったので、ただ園児たちが助かるように祈った。その状況で、自分が助かりたいとは微塵も思わなかったことが、その先の自分を確実にあたためた。

水が引いていく。どうやら、僕は助かりそうだ。

引いていく水の中に、首だけになりながらも、まだ目玉が動く人間を何人も見た。さぞ驚いていることだろう。突然の死に。

ああ、どうか、安らかに。

あなたの死に方がどうであっても、あなたの生きた輝きは失せないのです、と、彼らに心から伝える。

そこで目が醒めた。自分の最寄り駅に着いていた。いつもの雑踏、いつもの夕暮れの街並みだった。

あまりにもリアルな夢だった。ああ、これは、いつか本当に誰かが体験したことで、フラッシュバックの悪夢ではないだろうか。。。

助かった園児たちは、子どもならではの柔軟な思考で、あのたくさんの死や恐怖を、はらみながら成長し、今は小学校高学年から中学1年生か。。。

なかなかのトラウマである。

子どもの頃は、まだ脳が未発達だから解離しやすい。幾度もくるフラッシュバックに、生きるために解離を経験しているかもしれない。

そしてその自覚が本人にもないかもしれない。勿論、周囲の人も。混乱しているかな。大丈夫かな。

僕は今週末、解離を理解するための講習をうける。自分でもどうして申し込んだのかわからなかったが、この夢を見て、分かった。すべては繋がっている。

僕が必ず全力で寄り添うからね。1人ではむりな時は、1人でも大丈夫になるまで甘えればいいよ。

全ての感情も経験も役に立つよ。あなたはあなたであることを、ただ楽しめばいい。



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