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痛みの変化と鎮痛剤について

今日は電車で幕張まで行ってきました。取材です。
カメラマンの車には私の車椅子は乗らないし、タクシーにしても車は結構揺れて胸に響くので、最近はなるべく電車移動するようにしています。むしろ、しんどいのは駅までのアスファルトの道のりを走行する時の振動です。特に今日行ったJR幕張駅前から南に向かう道路は酷かった。つぎはぎだらけで、マンホールの周囲は山のように膨らんでるし、アスファルトの素材も粒が大きく、継ぎ目がなくともガタガタします。走行中ずっと胸の鎧はその振動を感じ、ぐりっとお腹の肉に食い込んでいました。


幕張のとある道路

そんな鎧の食い込み厳しきこの頃、仕事中に集中できなくなるといけないので、今日はしっかり鎮痛剤を飲んでおきました。耐え難いほどの痛みはないのですが、やはり鎧が食い込む感じは気持ち悪いもので、このところ、何か作業するときには鎮痛剤を使っています。以前は自分で薬局でロキソニンを買って必要なときに飲んでいましたが、いつでもお世話になれるよう区内の緩和ケアの病院に登録してからは、2週間に一度そこに診察に行くため、そのときに医師が処方してくれるモルヒネ系のオキシコンチン錠とか、オキノーム散というものを使うようになりました。ここ1ヶ月ほどのことです。

現状、体の曲がりのせいでCTも撮れないし、血液検査の結果を見ても、外見からも分かる程度のことしかわからず、体の中で何がどう変化しているのか本当のところはわかりませんが、私が感じている「痛み」は時期によってその痛みの種類も変化してきています。

最初に痛みを感じ始めたのはいつ頃だったか・・・。
去年の春ごろから、たまに痛みを感じることはあったように思います。5月~7月、京都で気功をやっている頃は昼間に痛みを感じることはほぼありませんでしたが、時々、夜寝ていると左の胸に炎症系の痛みを感じることがありました。熱を持った感じの痛みです。どこかがチクチクする刺すような痛みというのではなく、広く熱を持って腫れてるような痛みです。夜は体の修復の時間と言いますが、胸の腫瘍のあたりで免疫細胞がせめぎ合っていたのかもしれません。そう思わせるような種類の痛みでした。

あと、痛みで印象に残っているのは、京都で気功の先生に最後の施術をしてもらっていたとき、ありえないほど激し痛みを感じたのことです。
実はその前日、京都で知り合ったアーユルヴェーダをレイキをやっている女性にも手当てをお願いしていました。油は使わない整体のような施術です。彼女にお願いしたのはそれが初めてだったのですが、その施術直後にそれまで感じたことのない種類の痛みが出たのです。しばらく横になって休んでいたら治りましたが、いつもの夜の炎症とも違う、もっとピンスポットで感じるような痛みでした。

そして、その翌日、いつもの気功の先生のところに京都滞在最後の施術に行ったわけですが、その日は手当を始めてから10分後には先生が手を当てる部分に強い痛みを感じ始め、じょじょにそれは耐え難いものになっていきました。途中からは手をかざしただけでも痛くて、とうとう私は「痛い!」と叫び、もうやめてくださいと泣きそうになりながら、気功の手当てをやめてもらったのです。手当てを止めると痛みは徐々に治まっていきましたが、施術中は、私の体で何が起こっているんだとパニックになるような尋常じゃない痛みで、のたうちまわりました。以来、それほどひどい痛みを感じたことは現在までありません。

それまで3ヶ月間の気功の手当てでも、こんなに痛くなったことはありませんでした。どうしてそうなったかは先生にも謎。もしかしたら、前日にやったアーユルヴェーダとレイキをミックスした手当てが何かの引き金になったのでしょうか。しかし、私はもう2日後には東京に戻らねばならず、その痛みが気功やアーユルヴェーダの手当てによってその後どう変化していくかを体験することができませんでした。京都での気功の手当ては当初から最長3ヶ月までと決めていましたし、もうこれ以上京都に滞在するお金もない。それに、8月にはその時借りていた東京のアパート取り壊しのために引っ越しをせねばならなかったからです。

先ほども書いたように、「痛み」は身体が治ろうとするときに血流が集まって引き起こされるものという側面もあります。それを考えると、京都から帰京する直前に私の体に起こったこの「痛み」の大変化にどういう意味があったのか、もう少し、同じ手当てを続けて検証してみても良かったんじゃないかとも思います。しかし、いろんな状況がそれを許さなかった。これも運命というか、神の采配と考えて、東京に帰ってからどうするかを考えることにしました。

あれから1年。京都にいる頃に横隔膜の上あたりに感じ始めていたつっぱりは徐々に硬く広がっていき、今では胸全体を覆っているような感覚です。左腕の付け根とも同化して、左腕の可動域も狭まっています。
ただ、つっぱる部分全てに硬い鎧のような板状のものができているわけでもなく、脇の下の腕周りや少し背中に回った部分などは触っても硬い何かがあるわけではなく、ただ癒着したり、胸の部分との神経のつながりで突っ張ったような鈍痛を感じているだけのようなのです。緩和ケアの医師も、横隔膜周辺には神経が集中しているので、物理的に圧迫されているような感覚や食い込むような痛みも神経的なものかもしれないと言っていました。

1年前、夜に炎症のような痛みを感じることが多かった状態に加え、今年に入ると、胸の鎧が広がってきたのか肋骨の上に圧迫感を感じるようになりました。体が徐々に固まり始め、腹筋と背筋が使えず、寝起きするのも大変に。そして、時々夜寝る時の炎症のような痛みも出ていました。春から初夏頃、この炎症のような痛みは頻度は少ないもののその強さを増して、時には一睡もできないこともありました。しかし、鎮痛剤を飲むのは自らの自然治癒力を妨げると思っていた私は、その痛みに耐え、時には声を出して泣きそうになることもありました。

そして今、胸の鎧はさらに圧迫感を増し、まさに胸全体を覆う鎧のような感覚を私にもたらしているという状況の中、痛みに関して言えば、かつて感じていた強烈な炎症的な痛みはほぼなくなっています。代わりに、存在感を増した胸の鎧が体内に食い込み、周辺のお腹の筋肉を引っ張るような感覚や、左腕が固定され、動かすたびに胸の中の鎧に響く鈍い痛みや、左の指でパソコンを打ったり、右の指で左の腕の表面を撫でたりした時に感じる神経を弱く刺激するような痛みなど、以前とは違う痛みを感じ始めています。

以前のように涙が出るほど痛くて、夜も寝れない痛みというのを感じなくなったのはいいのですが、圧迫感や鈍い痛みはほぼ一日中続きます、平常心で耐えられるけれど、仕事などをするにはしんどいものです。
そこで、医師の処方する鎮痛剤に頼ることにしました。

痛みのストレスは本当に生きる気力を奪います。本当に辛い時は、本気で、もう死んでもいいと思ってしまう。それほどのストレスに耐えてまで身体に薬物を入れないことと、痛みのストレスをとってこうして長い文章も書きながらやるべきことがやれるのと、どちらが私の身体にとっては良いのか・・・。

最初は私も迷っていました。免疫学の安保徹氏(故人)の免疫学の本などを読むと、痛みは体内の悪いところを治そうとする反応で、鎮痛剤はそれを妨げる。かといって痛みのストレスがひどいのも良くないので、通常の2割くらいの薬を使ってコントロールするのがいいとか書いてあります。でも、2割くらいの量では実際にはあまり痛みを軽減してくれません。

一方、緩和ケアの医師は、多くは末期の患者を扱うので、基本的に目の前のがん患者が治癒に向かうことをあまり想定していないし、自己の免疫力でがんが治ることがあるとも思っておらず、だからその時のクオリティオブライフが上がることは目指しても、薬が自己治癒力、自己免疫力に及ぼす悪影響についてはあまり考慮していないと思います。なので、医師から「この薬は○時間開ければ、1日何度飲んでも大丈夫だから」と言われても、さすがに何度も飲むのは避けたいと思い、なるべく回数を減らすようにして薬を使っていました。

しかし、ここ数日、鎧がさらに硬く食い込む感覚が強くなり、左の指を使うと痺れる感覚も恒常的になってきたため、鈍痛ではあるものの、いろんな作業がなかなか進まず、薬の回数が増えてきて、ちょっと不安に感じていました。

そこで私は再び、「お前は既に死んでいる」と言われたことを思い出すことにしました。死をも覚悟した身であるならば、病を治すことにばかりに執着せず、やりたいことがある程度やれる状態を保って、世の中にいろいろ発信したり、かねてから言ってる町おこしに挑戦したりしたほうがいいだろう。

この鎧のようなものがどんどん硬くなっていく状況は何を意味しているのか、これは今顔を合わせている医師たちにもよくわからないようです。
ただ、現実として私はまだ生きていて、今日もなんとか幕張まで出かけることが出来ました。だから、朝起きて、今日も大丈夫と思えば、昨日と同じようにこうして文章を書き、自分の言いたいことを発信し、それを収入に繋げる努力を続けるつもりです。

日々、痛みを感じたり、体が動きづらくご飯を作るのも一苦労。そんな状態だと、もうだめかもと不安になることもあるし、こんな私が故郷の町おこしをやるなんて言っても、生きるか死ぬかわからないような人に任せられないという人も出てくるでしょう。たしかに今の私は自分の足を使って各所を周り、物理的な作業をすることは難しいです。でも、町おこしの構想を文字で表し、写真を添付し、企画書にし、街の人々に提案することはできます。zoomを使って会議をすることもできます。

だから、鎮痛剤を多少使っても、今頭の中にある構想を外に出す方向を選ぼうと思いました。かと言って、病を良くすることも諦めているわけではありません。7月の後半からは温熱治療も始めています。ただ、これの効果はまだいまのところわかりません。

鎧の圧迫感が強まっていることにこの治療が関わっているかどうかもわかりません。温熱治療をしている他の患者さんには腫瘍の存在感が増したり、体内を圧迫したりということは起こっていないようです。私の体感としては、温熱を当てると、胸の皮下にあって癒着している腫瘍の部分が縮んで硬くなり、周辺組織を引っ張って神経症状などが起こっている気もします。が、それはわかりません。鎧がただ拡大しているために周囲を圧迫しているだけなのかもしれません。

でも現状では、わからないのだからしょうがない。生きられるならば生き続けて、こうして文章を書くだけです。そうこうしているうちにわからなかったことが少しずつわかってくるかもしれませんしね。

無理はしないようにと言いながら、今日も文章が長くなって、気づけば0時を回りました。このへんでやめて、休みます。おやすみなさい。

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