「翔べ! 鉄平」  13

 訓練が続く中、鉄平たちは休暇を貰い実家へ帰った。もうすぐ秋の気配を感じる頃であったが、暑さはまだまだ残っていた。

 駅に降り立つと、まず自転車屋を訪ねた。

「おじさん、元気かい」

 と店先でしゃがんで自転車を直す旦那に声を掛けた。旦那は手を休めずに顔だけをちらと向けた。

「おお、鉄平か。海軍で何やっとる」

「へへへ、空、飛ンでる」

 鉄平はニヤニヤというと、旦那は手を止めた。

「亀田の坊ちゃんと一緒か?」

「え?」

 鉄平は突然顔色を変えた。

「亀田の坊ちゃんは、海軍で飛行機に乗っておるそうじゃ」

「そ、そうか」

 鉄平は嫉妬を感じた。そして飛行兵を想像すると、屈託無く笑っている猪俣少尉と猿田軍曹の顔が浮かび、飛行機の中で降下を待つ仲間の顔が見えると、嫉妬心が消え、誇りがみなぎってくる。

「俺は、飛行機じゃねぇ」

 ただ鉄平は、それ以上は言えなかった。まだ落下傘のことは秘匿扱いされていたからである。

「満州や中国じゃ沢山死んどる。お前も、死ぬなよ」

「ああ。おじさんも、体、大事にナ」

 そう言って自転車屋を後にした鉄平は、実家の店や親兄弟のことより、風子と啓二のことが気になって家路を急いだ。

 実家の近くまで来ると、畑中商店の前を通った。歩を緩めてそっと中を伺いながら通る。店の中は暗くてよく見えない。
 風子に会いたいのならそのまま店に入っていくが、啓二が居るのかどうか気になったのである。

「鉄ちゃん!」

 鉄平の期待したように風子が中から出てきた。

「あ、ああ、風ちゃん、久しぶり」

 ともっと言葉を続けようとすると、風子の後から啓二が出てきた。啓二は、軍服は着ず普段着であった。

「あ!」

 鉄平と啓二は見つめあった。その二人を風子が見比べた。

「鉄平、久しぶりだな。海軍に入ったンだって?」

「あ、ああ。お前……」

 鉄平は恐る恐る聞いてみた。

「おまえ、少尉殿か?」

「ああ、気にするなよ」

 啓二は笑って答えた。鉄平は罰が悪そうに頭を掻いた。

「ねぇ、鉄ちゃん。啓ちゃんは飛行機に乗っているンだって」

「あ、そうか」

 鉄平は自転車屋から聞いて知っていたがわざと知らない振りをした。
 啓二が澄ましているのが憎らしい。それより風子の話しぶりが何時もと違うように感じた。

「鉄平、今何処にいるンだ?」

「今は、館山の……」

 鉄平は秘匿しなければならないと言われており、所属部隊を誤魔化そうとした。

「館山の航空隊か? 俺も居たことがある。今は、完成した厚木に配属になった」

「あ、ああ、厚木か」

 鉄平は厚木という言葉でまた一〇〇一の実験を思い出した。

「何やっているンだ?」

「いや、陸戦隊の手伝いさ」

「ハハハ、陸戦隊じゃなくて手伝いか? まあいいさ」

 啓二は鉄平が何かを隠しているように思え、それ以上軍隊の話は止めようとした。

「ねぇ、空飛ぶ時、どんな気分?」

 風子が啓二に聞く。

「ああ、そうだな……」

 啓二が空を見て言葉を捜していると、鉄平はつい喉から言葉を出してしまった。

「金玉が踊るンだ」

 空を飛ぶという十八番を啓二に取られそうで焦ったのである。ニヤニヤと笑って風子を見ている鉄平を振り返った啓二は、全てを忘れて笑った。

「そうそう、そんな感じ。ハハハ」

 笑う二人を、それが理解できない風子は口を尖らせて見比べた。それで鉄平は少しだけ自尊心を満たすことができた。

 風子は妹に店番を任せて、三人で山の上の見晴台へ登った。低山は雑木で覆われていて、蝉の声が耳鳴りのように響き続ける。

 海の蒼が空の青と競い合う。相模湾は静かに白い弧を幾つも描き、空は白い雲を点々と浮かべている。

「アメリカと戦争、するのかな」

 鉄平はそれまでアメリカやイギリスと戦争をするかどうかを真剣に考えたことが無かった。
 周りの噂を聞いていても、なんで戦争をしなければならないのか、理由がよく理解できなかった。それより落下傘の連続降下実験と訓練を成功させる為に、空を飛ぶことにばかり感心を向けていたのであった。

「石油が手に入らねば、飛行機も飛べなくなる。船も動かなくなり、電気も使えなくなる。この日本を守らねばならない」

 啓二は、海を見つめて静かに、風子に解るように簡単に説明した。
 しかし『守らねばならない』という言葉が風子にはなにか無謀なことをするかのように感じられた。

 鉄平もその言葉に啓二が本当の軍人であることを感じた。そして兵隊でありながら、戦争のことよりも夢に熱中している自分が、軍隊では異質の存在のように感じてくる。

 飛行機が相模湾から内陸へ向かって飛んできた。

「いま厚木に航空機が集められている」

 啓二は鉄平を見て言う。

「厚木か」

 鉄平はぼうっと何かを見つめているようだが、空を見つめる目は輝いていた。

「厚木で、土方やっていたのか?」

 啓二は厚木と言う言葉を感慨深げに口にする鉄平を不思議に思って聞いてみた。

「ああ、実験でナ」

 鉄平の頬が緩む。

「そうか。聞いたことがある。そうか、今は館山か。ってことは、俺とすれ違いだな」

 風子は景色を眺める二人の背中を眺めていた。啓二の背中は今を生きている。確りと現実を見つめて、今やるべきことを確実にこなしながら生きている。鉄平は背中に夢を背負って未来を生きている。戦争の不安や軍隊の厳しさの中でも、それを時々傍観しながら、もっともっと遠くを見て生きている。

――鉄ちゃんは、ほんとに飛ぶかも。

 風子は小さい頃からの鉄平を思い出してそう感じた。

                つづく

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