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思考という名の承認モンスター

随分と久しぶりの投稿となってしまったが、
また、しばらくぶりにnoteを
書いていこうと思うのも
最近のわたしは、
人と話すことや喋ることにあまりにも、
し軸を置き過ぎたせいで
バカになったような気がしてならない。

もちろんその基準も、
元あるわたしの器量に値するものであるので、
決して、
一般的なものと比べているわけではない。

元々話すスピードが早い
関西人でもあるわけで、

話す・喋る=量>質

を重視して、
なるべく短時間に
ワンセンテンスではなく
ファイブセンテンスくらいを目安に
話すことが常で、
会話に関しては、
ただの反射としか思えぬスピードで
そつなく無難な会話以上はできてしまうが、
スピードが早くなる分、
ものごとの
考察は疎かになる。

一般的にはよく話す人や頭の回転がいい人=頭がいい思われがちだが、決して利点ばかりではないと考えられる。

スピードを重視すると、
やはり質は落ちる。

質が落ちたまま
提供するものを良しとするなら、
技術の向上も、
人としての成長も
見られない。
残念ながら・・・。

人は考えるアシであるとパスカルが
言ったように、
わたしたちは思考することができ
またそれによって
存在意義を確認することが
できる尊い存在なのだ。
ということ。

だがしかし、
そう。 
重要なのは
これから話すことなので
もうしばらくお付き頂けたら幸いです。
(前フリが長くなって申し訳ない。)

我々が
思考するときというのは
実は、
承認におもきを置き過ぎている。

いや、
むしろそのためなのだ。

そんなことないっ!
と否定したところで仕方がない。

真実はいつも
否定したいことだらけなのも
真実なのだから。

我々が思考し始めると、

余分三兄弟のように
・世間体
・可能性
・許容
など、まるでサービスのようなフリをして
ついてくるものだから
我々の思考とは常に
添加物だらけということだ。


ナチュラルな思考でいるためには、

自分の頭で考える隙を与えない
ということになる。

となると、

自分でさえも気づかぬスピードが必要
ということだ。

自分という史上1番厄介なラスボスに
気づかれるレイコンマ何秒も経たない
うちに意図することが重要になってくる。

『即』
即行動
即実行
即決断

これらを意識することで、

天然ものの思考のギアが
回転し始める。

考え過ぎる人というのは、
すでに
ナチュラルな思考ではない状態だということを
気づくことによって、

本当はどうしたいのか?
何の不安も心配もないとしたら
自分はどちらを選ぶのか?

など自分のホンネに耳を傾けてみるだけでも
いいのかもしれない。

どうせ叶わないと思う前に、

どっちなら嬉しいか?
と思うことさえができたら

あとはそれに
従っていくだけ。

そうすると自分が服従するのは
自分だけという図式が仕上がるのだ。

まずは、
自分というラスボスを手なづける
とこれからはじめていきたい。

ということで(どういうことで?w)

またnoteでのアイミカも
ご贔屓に!

Ciao

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